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秋田県立大館桂高等学校

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大館桂高等学校から転送)
秋田県立大館桂高等学校
地図北緯40度16分23秒 東経140度31分31秒 / 北緯40.27311度 東経140.52528度 / 40.27311; 140.52528座標: 北緯40度16分23秒 東経140度31分31秒 / 北緯40.27311度 東経140.52528度 / 40.27311; 140.52528
過去の名称 大館町立実科高等女学校
大館町立大館実科高等女学校
秋田県大館高等女学校
国公私立の別 公立学校
設置者 秋田県の旗 秋田県
校訓 誠実、温容、勤勉、自主、奉仕
設立年月日 1913年4月11日
閉校年月日 2016年3月31日
共学・別学 男女別学(女子校)
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
所在地 017-0876
秋田県大館市餅田二丁目3番1号
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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秋田県立大館桂高等学校(あきたけんりつ おおだてかつらこうとうがっこう)は、秋田県大館市餅田二丁目にあった県立高等学校女子校であった。

2016年(平成28年)に大館市内にある大館高校大館工業高校と統合されて大館桂桜高校が開校し[1]、秋田県内の公立の男女別学高校は全て姿を消した。

設置学科

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沿革

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  • 1913年大正2年)
    • 4月11日 - 大館町立実科高等女学校として大館女子小学校(現・大館市立城南小学校)内に設置(修業年限2年、希望により1年延長可)。1学年1学級。
    • 4月25日 - 第1回入学式。校章制定。
    • 5月7日 - 始業式(この日を創立記念日と定める)。
    • 9月6日 - 開校式。
  • 1915年(大正4年)3月26日 - 第1回卒業式。
  • 1916年(大正5年) - 服装制定(和装:筒袖、紫色袴・内裾に白線1本)。
  • 1918年(大正7年)7月3日 - 大館町立大館実科高等女学校に改称。
  • 1919年(大正8年)4月1日 - 修業年限を3年に改める。桜町の新校舎に移転。
  • 1920年(大正9年)9月15日 - 交友会(卒業生と在校生合同の組織)発足。
  • 1922年(大正11年)
    • 3月23日 - 秋田県に移管し、秋田県大館高等女学校となる。修業年限4年。
    • 12月25日 - 交友会誌「かつら」創刊号発行。
  • 1923年(大正12年)
    • 2月16日 - 秋田県立大館高等女学校に改称。
    • 5月7日 - 交友会を改組し、同窓会の発会式。
  • 1924年(大正13年)4月 - 1学年2学級。1年課程の研究科を併設。
  • 1929年昭和4年)4月 - 制服を和装から洋装に改定(紺のスカート、セーラー服、黒長靴下、黒靴)。
  • 1933年(昭和8年)
    • 9月7日 - 校訓「誠実・勤勉・温容」を定める。
    • 9月30日 - 校歌制定。作詞・鎌田基吉(大館高女職員)、作曲・小松平五郎(秋田県由利郡出身の作曲家)。
  • 1940年(昭和15年)4月1日 - 1学年3学級。
  • 1943年(昭和18年)10月26日 - 秋田県立高等女学校学則(県内各校の学則を統合)公布。
  • 1945年(昭和20年)
    • 1月27日 - 学徒動員により群馬県中島飛行機館林工場で就業(4年生130余名)。
    • 3月31日 - 館林高等女学校(現・群馬県立館林女子高等学校)にて卒業式(小坂本荘両高女と合同)。
  • 1948年(昭和23年)
    • 4月1日 - 学制改革により改組し、秋田県立大館桂高等学校となる。1学年4学級。
    • 5月7日 - 高等学校昇格開校式挙行。
  • 1965年(昭和40年)4月 - 衛生看護科を設置[2]
  • 2004年(平成16年)3月 - 衛生看護科閉科[2]
  • 2016年(平成28年)3月 - 閉校[3]

部活動

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スキー競技の強豪校である。

著名な出身者

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出典

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  1. ^ 秋田に「けいおう(桂桜)」高校誕生 3校統合、来年開校 - 2015年4月17日 産経新聞
  2. ^ a b c 「白衣の誇り 永遠に 大館桂高校衛生看護科 閉科式で39年の歴史に幕」『北鹿新聞』2004年3月3日。
  3. ^ 桂高校のあゆみ

関連項目

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外部リンク

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