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松岡の御柱祭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
婆々焼祭から転送)

松岡の御柱祭(まつおかのおとうまつり)は、兵庫県豊岡市日高町松岡で行われる婆々焼祭(ばばやきまつり)とも呼ばれる[1]1993年平成5年)3月29日、日高町(2005年以降は豊岡市)の無形民俗文化財に指定された[2]

概要

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松岡の御柱祭は毎年4月14日に開催され、で作られた土台に、「御柱松」と呼ばれる老婆に見立てた藁人形を括り付けた松の柱を立て、火をつける[1][3]。この祭は雅成親王の妻・幸姫にまつわる伝承に基づく。

伝承

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1221年承久3)の承久の乱に伴って但馬国高屋(現在の豊岡市)へ配流された雅成親王を追った身重の幸姫が、この地で産気づき出産した。老婆に高屋まであと何日かかるかと尋ねたところ、老婆は意地悪くまだ20日はかかると実際よりも長い日数を答えた。生きてたどり着くことができないと絶望した幸姫は円山川へ身を投げて死んでしまった。それ以来、毎年洪水が起きるようになったため、彼女の霊を鎮めるために祀ったのが祭の始まりだと伝えられる[1]

田の虫を燃やす祈願から生じた行事が、承久の乱と物語的に結びつけられたものであるという見方もある[4]

その他

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1960年昭和35)当時、旧国府村内の松岡・土居・上郷・府市場などでは4月14日に「頭屋神事」が行われ、「オトウ」「オトウマツリ」と呼ばれていた[4]

1960年代までは御柱松を燃やして吉凶を占う火祭りが上郷・土居・府市場・野々庄・芝でも行われていたようであるが、ばば焼きと重ねられたことで、松岡にのみ残ったという見方もある[5]

ギャラリー

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脚注

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  1. ^ a b c 松岡の御柱祭(婆々焼祭) 【まつおかのおとうまつり(ばばやきまつり)】”. 但馬の百科事典. 公益財団法人 たんしん地域振興基金. 2018年5月15日閲覧。
  2. ^ 豊岡市の指定等文化財 市指定” (pdf). 豊岡市役所. 2018年1月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年5月15日閲覧。
  3. ^ 松岡御柱まつり(ばば焼きまつり)”. 兵庫県観光情報サイト ひょうごツーリズムガイド. 公益財団法人ひょうごツーリズム協会. 2018年5月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年5月15日閲覧。
  4. ^ a b 国府村誌編集委員会 1960, pp. 207–214.
  5. ^ 岩見清・松井敬代「はば焼き(御柱祭り)」(豊岡市歴史文化遺産活用活性化事業実行委員会 2017, pp. 186–188)

参考文献

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  • 国府村誌編集委員会 編『国府村誌』国府地区公民館、1960年。 NCID BA47253240 
  • 豊岡市歴史文化遺産活用活性化事業実行委員会 編『豊岡市の祭礼・年中行事等調査報告書』豊岡市歴史文化遺産活用活性化事業実行委員会、2017年3月。 NCID BB24431278 
  • 日高町制50周年記念誌編集委員会 編『ひだか辞典 愛するふるさとひだかの宝 日高町制50周年記念誌』日高町、2005年。全国書誌番号:20762582 

座標: 北緯35度28分45.5秒 東経134度47分15.0秒 / 北緯35.479306度 東経134.787500度 / 35.479306; 134.787500