稲荷神社 (文京区千石)
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(子育稲荷神社から転送)
稲荷神社 | |
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稲荷神社(左)と巣鴨大鳥神社(右) | |
所在地 | 東京都文京区千石4-25-15 |
位置 | 北緯35度43分47.6秒 東経139度44分24.9秒 / 北緯35.729889度 東経139.740250度座標: 北緯35度43分47.6秒 東経139度44分24.9秒 / 北緯35.729889度 東経139.740250度 |
主祭神 | 保食神(「巣鴨大鳥神社」としては日本武尊) |
創建 | 貞享5年(1688年) |
別名 | 子育稲荷神社 |
例祭 | 4月13日(「巣鴨大鳥神社」としては11月酉の日) |
稲荷神社(いなりじんじゃ)は、東京都文京区の神社。なお、酉の市を挙行する摂末社の「巣鴨大鳥神社(すがもおおとりじんじゃ)」の方が有名で、社殿や鳥居も巣鴨大鳥神社の方が大きく(画像参照)、社務所の看板や御朱印も「巣鴨大鳥神社」名義であるため、「巣鴨大鳥神社の摂末社が稲荷神社」になった観を呈しているが、宗教法人を所轄する東京都[1]における宗教法人名は「宗教法人 稲荷神社」である。
歴史
[編集]1688年(貞享5年)に創建された。隣にあった日蓮宗寺院「霊感院」(明治期に廃寺)が別当寺であった。1849年(嘉永2年)、当時の霊感院大僧正は当社を「子育稲荷神社(こそだていなりじんじゃ)」として積極的に売り込んだ。その甲斐あって、多くの参詣者が訪れた。1864年(元治元年)には、酉の市も始められた[2]。
しかし、明治の神仏分離と廃仏毀釈で霊感院は廃寺となり、当社を支えていた寺を失ってしまった。そして1945年(昭和20年)の空襲で壊滅的打撃を受けた[2]。
1949年(昭和24年)、豊島区の法明寺鬼子母神堂の近くに住む武藤氏は、ある夜「東方に稲荷大神坐す、住する社なし、汝速やかに建立せよ。」という霊夢を見た。そして当社を発見し、私財を投じて仮社殿を建てたという。その後、少しずつ復興していった[2]。
平成初期、規模の大きい新社殿に改築する計画があった。しかし平成不況によって立ち消え状態となり、今日に至っている[3]。
交通アクセス
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 内海一紀 編『文京区神社誌』文京区神社総代会、1988年