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宇野千代 (首相夫人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宇野弘子から転送)
うの ちよ

宇野 千代
生誕 広瀬 千代
(1924-11-01) 1924年11月1日
日本の旗 日本 京都府京都市
死没 (2015-08-10) 2015年8月10日(90歳没)
日本の旗 日本 滋賀県
出身校 京都府立第二高等女学校
配偶者 宇野宗佑(夫)
広瀬拙斎(父)
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宇野 千代(うの ちよ、1924年大正13年)11月1日 - 2015年平成27年)8月10日)は、日本75内閣総理大臣である宇野宗佑京都府京都市出身[1]

経歴

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京都府京都市出身。京都の茶道・裏千家13世千宗室(円能斎)の実弟である広瀬拙斎の次女として生まれる[1]

京都府立第二高等女学校を卒業後、製薬会社に就職したが、終戦の年に退職してしばらく兄の家にいた。そこに、シベリアで一緒に抑留されていた千代の兄の京都の家に宇野宗佑が立ち寄ったのがきっかけで、1947年昭和22年)2月22日に結婚[2]。宇野家には嫁入りした妻は旧姓とともに本名をも捨て去るしきたりがあり、千代も結婚後は「弘子」の名を与えられ、宇野の首相就任まで40年間、宇野弘子を名乗った。

1989年平成元年)6月3日から同年8月10日まで夫である宇野宗佑内閣総理大臣に就任し、千代もおよそ2か月間だけファーストレディを務めたが、夫のスキャンダルなどの理由から総理在任中の69日間を「針のムシロ」で過ごしたと言われている[2]

2015年(平成27年)8月10日、90歳で死去。告別式は滋賀県守山市で行われた[3]

脚注

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  1. ^ a b 「総理大臣の妻たち」(小林吉弥、日本文芸社1995年
  2. ^ a b 天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 宇野宗佑・千代夫人(下)”. exciteニュース. 2021年4月13日閲覧。
  3. ^ 宇野千代さんが死去 故宇野宗佑元首相の妻”. 日本経済新聞 (2015年8月11日). 2021年4月13日閲覧。
先代
竹下直子
内閣総理大臣夫人
1989年6月3日 - 1989年8月10日
次代
海部幸世