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イタリアとの平和条約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
対伊講和条約から転送)
イタリアとの平和条約
Treaty of Peace with Italy
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平和条約締結後のフランスとイタリアの国境
署名1947年2月10日
署名場所フランスの旗 フランス共和国パリ
発効1947年9月15日
署名国イタリアの旗 イタリア
フランスの旗 フランス共和国
ギリシャ王国の旗 ギリシャ王国
ユーゴスラビアの旗 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国
アルバニアの旗 アルバニア社会主義人民共和国
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
イギリスの旗 イギリス
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
寄託者フランス政府
言語フランス語(第一言語)
英語
イタリア語

イタリアとの平和条約(イタリアとのへいわじょうやく、: Treaty of Peace with Italy)は、1947年2月10日イタリア連合国との間で締結された第二次世界大戦の講和条約の一つで、1947年のパリ条約に含まれる。同年9月15日に発効した[1]

領土変更

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A frontier marker on the 1947 – settled Franco-Italian border in the Col de la Lombarde

イタリア領ソマリランドは1949年にイタリアの信託統治領になるまでイギリスが統治し、1960年にイギリス領ソマリランドと合併されソマリアになった。

戦争賠償

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第74条より、イタリアには以下の通りに戦争賠償を課せられた。

  • ユーゴスラビア:1億2500万ドル
  • ギリシャ:1億500万ドル
  • ソビエト連邦:1億ドル
  • エチオピア:2500万ドル
  • アルバニア:500万ドル

賠償の金額については、金本位制によるUSドルで計算され(1946年7月1日時点。金1オンス=35ドル)、7年で商品とサービスで支払われることになった。

軍事条項

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第47条と第48条より、フランスとイタリアの国境とユーゴスラビアとイタリアの国境沿いにあったすべての要塞の取り壊しを義務付けられ、第51条より、30キロメートル以上の射程を持つ核兵器ミサイル、火器や人間魚雷を含む非接触式の機雷魚雷の所有、建造、実験を禁じられた。

軍事力の規模が制限された。第54条より重戦車中戦車200両までとされ、第55条より黒シャツ隊イタリア社会共和国陸軍英語版の元士官と元下士官は、イタリア軍の士官と下士官になることを禁じられた(イタリアの裁判所で無罪が証明された者は除く)。

イタリア海軍もまた削減された。第56条と第57条より、戦艦の一部がソビエト連邦、アメリカ合衆国、イギリス、フランスに割譲された。すべての潜水艦が沈没させられ(第58条)、新たに戦艦、潜水艦、空母を入手することが禁じられた(第59条)。海軍の人員が25,000人に制限され(第60条)、陸軍では185,000人にカラビニエリ65,000人を合わせて25万人に制限された(第61条)。空軍は、戦闘機と偵察機200機と輸送機、訓練機、航空救難機、連絡機150機に限定され、爆撃機の所有と運用が禁じられ(第64条)、人員は25,000人に制限された(第65条)。

軍事力の制限のほとんどは、1949年にイタリアがNATOの原加盟国になったことで緩和された。

政治条項

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第17条より、イタリアにおいてファシズムの組織化が禁じられた(政治、軍事、半軍事のいずれも)。

付属書

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付属書より、南チロルにおいてドイツ系住民の文化的な自治権が認められた。

脚注

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  1. ^ Grant, John P.; J. Craig Barker, eds (2006). International Criminal Law Deskbook. Routledge: Cavendish Publishing. p. 130. ISBN 9781859419793. https://books.google.com/books?id=SzwrG74gwzUC&q=treaty+of+peace+with+italy+1947&pg=PA130 
  2. ^ United Nations Treaty Series 1956; No. 3297 

関連項目

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外部リンク

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