尊済法親王
表示
尊済法親王 | |
---|---|
続柄 | 後二条天皇第五皇子 |
称号 | 常喜院 |
身位 | 法親王 |
出生 |
嘉元2年(1304年) |
死去 |
元徳元年9月10日(1329年10月3日)(享年26) |
父親 | 後二条天皇 |
母親 | 藤原公親女 |
役職 | 一身阿闍梨 |
尊済法親王(そんさいほっしんのう、嘉元2年(1304年)- 元徳元年9月10日(1329年10月3日))は、鎌倉時代末期の法親王。天台宗。後二条天皇の第五皇子で、母は宮人・藤原公親の娘。初名は永尊[1]。常喜院と号す。
円満院に入り、元亨2年12月19日(1322年1月26日)に一身阿闍梨に補任されるが、元徳元年(1329年)9月10日に26歳で薨去した。
脚注
[編集]- ^ 『諸門跡譜』圓満院。
参考文献
[編集]- 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年