ガイウス・マリウス (紀元前82年の執政官)
ガイウス・マリウス C. Marius C. f. C. n.[1] | |
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渾名 | 小マリウス(Marius Minor) |
出生 | 紀元前108年頃 |
死没 | 紀元前82年 |
死没地 | プラエネステ |
氏族 |
マリウス氏族(父方) ユリウス氏族(母方) |
官職 | 執政官(紀元前82年) |
指揮した戦争 | ローマ内戦(紀元前82年) |
ガイウス・マリウス(ラテン語: Gaius Marius, 紀元前109年/紀元前108年 - 紀元前82年)は、共和政ローマ後期の政務官。ガイウス・マリウス(大マリウス)の息子。父と区別して小マリウス(Marius Minor)とも。ルキウス・コルネリウス・スッラとの内戦で敗北、死亡した。
生涯
[編集]紀元前108年[注 1]、大マリウスとユリア・カエサリアの子として生まれる。法務官マルクス・マリウス・グラティディアヌスは父方の従兄弟、独裁官ガイウス・ユリウス・カエサルは母方の従兄弟[2]、執政官クィントゥス・ムキウス・スカエウォラ・アウグルは母方の祖父にあたる[3]。後に元老院議員ルキウス・リキニウス・クラッススの娘で、同じスカエウォラ・アウグルの孫にあたるルキニアと同族婚を結んでいる。他に幼馴染にティトゥス・ポンポニウス・アッティクスとマルクス・トゥッリウス・キケロがおり、キケロは父と同じアルピヌム出身でもある。
父の大マリウスはキンブリ・テウトニ戦争での歴史的な勝利によって民衆からの支持を集め、小マリウスもその後継者として育てられた。支持者からは軍神マルスの子と持ち上げられたが[4]、実際には父に比べて戦向きの事は不得手であった。プルタルコスによれば小マリウスは美男子として知られており[5]、むしろ女神ウェヌスの子(「女たらし」という意味の隠語)と言われたという[4]。
紀元前88年、スッラがミトリダテス戦争の指揮権剥奪を不服として麾下の軍団を引き連れてローマへと侵攻し、マリウス派とスッラ派の内戦が発生した。小マリウスは内戦中にスッラがローマを占領した際、父の命令で祖父スカエウォラの下に物資を取りに向かっているが、輸送に手間取って追手に捕らえられそうになり、やむなく単身でアフリカ属州に亡命している[3]。 アフリカではかつて父がユグルタ戦争で戦ったヌミディア王国のヒエムプサル2世に庇護されたが、しかし扱いとしては殆ど人質に近く宮殿から立ち去る事も許されなかった。やがてヒエムプサル2世の妻を篭絡してヌミディアから逃れる手助けを受け、父と合流してケルキラ島に身を隠した。紀元前87年、父がローマでスッラに反旗を翻した執政官ルキウス・コルネリウス・キンナから執政官代理に指名されると、マリウス父子はイタリアに上陸してローマを制圧した[6]。
その後マリウス、キンナの死を経て紀元前82年に法定年齢である43歳に達していないにも拘らず、大マリウスの威光を頼って26歳で執政官に選出され、グナエウス・パピリウス・カルボ (紀元前85年の執政官)を同僚執政官とした。同年にローマに再度進軍するスッラ軍とサクリポルトゥスで相対したが敗れてプラエネステへ退いて籠城したが、スッラ軍のレガトゥス(総督代理)であったクィントゥス・ルクレティウス・オフェッラによって包囲され、陥落時に自害ないしは処刑された[7]。小マリウスの首を検分したスッラは、規定年齢に達せず執政官となった事を「オールの使い方も知らずに船長になってはいかんな」と皮肉ったという[8]。
後に従兄弟であるユリウス・カエサルが暗殺された後、小マリウスの遺児を名乗るヘロピルス(アマティウス、英語版)なる人物が現れて民衆を扇動したが、執政官だったマルクス・アントニウスに処刑されている[9]。
家系図
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]注釈
[編集]参考資料
[編集]- プルタルコス 著、柳沼重剛 訳『英雄伝(3巻)』京都大学学術出版会。
- T. R. S. Broughton (1952). The Magistrates of the Roman Republic Vol.2. American Philological Association
- 砂田徹『共和政ローマの内乱とイタリア統合 退役兵植民への地方都市の対応』北海道大学出版会、2018年。
- ロナルド・サイム 著、逸身喜一郎ほか 訳『ローマ革命 共和政の崩壊とアウグストゥスの新体制 上』岩波書店、2013年。
- マティアス・ゲルツァー 著、長谷川博隆 訳『ローマ政治家列伝Ⅱ ポンペイウス』名古屋大学出版会、2013年。
関連項目
[編集]公職 | ||
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先代 ルキウス・コルネリウス・スキピオ・アシアティクス ガイウス・ノルバヌス |
執政官 同僚:グナエウス・パピリウス・カルボ III 紀元前82年 |
次代 マルクス・トゥッリウス・デクラ グナエウス・コルネリウス・ドラベッラ |