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小林寛 (サッカー選手)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小林 寛
名前
カタカナ コバヤシ ヒロシ
ラテン文字 KOBAYASHI Hiroshi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1959-03-17) 1959年3月17日(65歳)
出身地 茨城県
身長 170cm[1]
体重 68kg[1]
選手情報
ポジション DF
ユース
1974-1976 日本の旗 日立第一高校
1977-1980 日本の旗 中央大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1981-1989 日本の旗 古河電工 111 (2)
通算 111 (2)
監督歴
1990-1998 日本の旗 北陸電力/アローズ北陸
2000 日本の旗 川崎フロンターレ
2001 日本の旗 水戸ホーリーホック
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

小林 寛(こばやし ひろし、1959年3月17日 - )は茨城県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。

略歴

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現役時代は日本サッカーリーグ古河電気工業サッカー部(現ジェフユナイテッド市原・千葉)で、DF(左サイドバック[1])としてプレーした。日本代表候補にもなったが、同時期に「狂気の左サイドバック」と呼ばれた都並敏史が不動のポジションだった為、選出には至らなかった。

引退後は1990年から1998年まで北陸電力サッカー部(1996年からはアローズ北陸)の初代監督を務め、チーム創設3年で北信越リーグ昇格に導いた。1999年は同チームのアドバイザーに就任し、日本フットボールリーグ昇格を見届けて退団した。

2000年川崎フロンターレの育成部に所属していたが、9月から監督に就任した。ナビスコ杯で準優勝をおさめたものの、チームのJ2降格を阻止することは出来ず、この年限りで辞任した。

2001年水戸ホーリーホックの監督に就任したが、7月にはゼネラルマネージャーに転身、2002年から2007年まで水戸ホーリーホックの運営会社社長を務めた。

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯 天皇杯 期間通算
1981 古河 6 JSL1部 0 0 1 0 0 0 1 0
1982 10 0 5 0 3 1 18 1
1983 18 0 1 0 1 0 20 0
1984 18 2 3 0 5 0 26 2
1985 22 0 4 1 3 0 29 1
1986-87 21 0 1 0 22 0
1987-88 20 0 0 0 3 0 23 0
1988-89 2 0 2 0 2 0 6 0
通算 日本 JSL1部 111 2 17 1 17 1 145 4
総通算 111 2 17 1 17 1 145 4

※1986年度の天皇杯は、古河電工がアジアクラブ選手権1986-87出場のため辞退

引退後経歴

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監督成績

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年度 所属 クラブ リーグ戦 カップ戦
順位 試合 勝点 勝利 引分 敗戦 ナビスコ杯 天皇杯
1990 富山県 北陸電力 - 予選敗退
1991 - 予選敗退
1992 - 予選敗退
1993 北信越 2位 - 1回戦
1994 優勝 - 1回戦
1995 2位 - 1回戦
1996 アローズ 2位 - 予選敗退
1997 2位 - 1回戦
1998 優勝 - 予選敗退
2000 J1 川崎 16位 5 2 0 3 準優勝 3回戦
2001 J2 水戸 -位 20 1 3 16 1回戦 -
  • 2000年はセカンドステージ11節から指揮(順位は年間最終順位)。
  • 2001年は20節まで指揮。

脚注

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  1. ^ a b c 『イレブン』1987年12月号、日本スポーツ出版社、1987年。

関連項目

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外部リンク

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先代
石山徹
水戸ホーリーホック社長
2002年-2007年
次代
宮田裕司