コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

小柳冨太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小柳富太郎から転送)
小柳冨太郎
こやなぎ とみたろう
生年月日 1904年9月24日
出生地 日本の旗 日本 長崎県北高来郡諫早村
(現・長崎県諫早市
没年月日 (1983-10-25) 1983年10月25日(79歳没)
出身校 西南学院中退
諫早高等小学校卒業
所属政党日本自由党→)
民主党

選挙区 長崎県全県区
当選回数 1回
在任期間 1946年 - 1947年3月31日

当選回数 1回
在任期間 1951年 - 1955年

当選回数 1回
在任期間 1937年 - ?
テンプレートを表示

小柳 冨太郎(こやなぎ とみたろう、1904年明治37年)9月24日[1] - 1983年昭和59年)10月25日[2])は、日本の実業家政治家衆議院議員

経歴

[編集]

長崎県北高来郡諫早村原口名(現諫早市)で生まれる[3]1918年、諫早高等小学校を卒業[4]西南学院で学ぶが、1922年6月で中退した[3][5]

1940年上海で江南工業 (株) 社長に就任[3][4][5]1951年4月、富陽建設 (株) を設立して社長に就任[3][4][5]1977年に引退した[4]

政界では、1937年3月に長崎市会議員に当選[4][5]1946年4月、第22回衆議院議員総選挙に長崎県から出馬して当選し衆議院議員を一期務めた[2]1951年4月、長崎県議会議員に諫早市選挙区から民主党公認で立候補して当選し、一期在任した[1][4][6]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』257頁。
  2. ^ a b 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』250頁。
  3. ^ a b c d 『長崎県人事年鑑 1960』76-77頁。
  4. ^ a b c d e f 『新現代長崎の百人』89頁。
  5. ^ a b c d 長崎県議会史 第6巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  6. ^ 長崎県議会史 第6巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

参考文献

[編集]
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 9784816918056
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『新現代長崎の百人 : 青少年への座右銘』〈県人シリーズ62〉育英出版、1981年。
  • 長崎新聞社編『長崎県人事年鑑 1960』長崎新聞社、1959年。