小桜 (砲艇)
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(小桜から転送)
1935年、松花江を行く「小桜」[1] | |
基本情報 | |
---|---|
建造所 | 播磨造船所ハルピン工場[1] |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
艦歴 | |
起工 | 1935年4月30日 |
進水 | 1935年7月25日[1] |
竣工 | 1935年8月25日[1] |
その後 | 不明[1] |
要目 | |
排水量 |
30トン(清水)[2] または33.113トン[3] |
水線長 | 25m[2] |
垂線間長 | 24m[2] |
水線幅 | 3.65m[2] |
深さ | 1.6m[2] |
吃水 | 0.6m[2] |
主機 | 池貝石油ディーゼル2基[1] |
出力 | 120hp[1] または240hp[2] |
速力 | 13.2ノット[1] または13.7ノット[2] |
燃料 | 3.3トン[2] |
航続距離 | 750カイリ / 10ノット[2] |
乗員 | 准士官以上2名、下士官兵13名、計15名[2] |
兵装 | 毘式7.7mm機銃3挺[4] |
小桜(こざくら[5])は、日本海軍の砲艇。正式には雑役船中の交通船に分類された。同型艇「白梅」。
概要
[編集]1932年(昭和7年)に誕生した満州国は海軍を設立し、松花江と黒龍江の警備用に播磨造船所に4隻の砲艇を注文、播磨造船所はハルピンにドックを持った工場を開設して、日本で建造した船を現地で組み立てた[1]。一方日本海軍は1933年(昭和8年)になり駐満海軍部を新京に、臨時海軍防備隊をハルピンに発足させ、満州国海軍の指導と同方面の警備を行った。そのため日本海軍も播磨造船所に砲艇を2隻注文、建造された[1]。播磨造船所の建造番号は217と218で、両船とも1935年(昭和10年)8月25日にハルピンで竣工した。
船種、船名、所属は同年11月26日に船種:交通船(三十瓲)、船名:「小桜」「白梅」、所属:呉海軍港務部(臨時附属)、共用先:臨時海軍防備隊と定められた[6]。
竣工後の2隻は同方面の警備に従事していたようである[1]。1938年(昭和13年)になり日本海軍は同方面から撤退し、臨時海軍防備隊も廃止となった。その後の2隻の動静は不明であるが、「白梅」は大戦中に廃船、「小桜」は終戦時にまだ在籍していたと言われる[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l #写真日本の軍艦第14巻182頁。
- ^ a b c d e f g h i j k #軍艦基本計画資料Sheet21。
- ^ #軍艦基本計画資料Sheet54。
- ^ Ref:#C05034350900「第3814号 10.9.13 定数外消耗兵器供給の件 臨時海軍防備隊」第2画像。
- ^ 本船の船名を定めた昭和10年11月26日付 海軍大臣官房 官房第2749号ノ9では「読み」は記されていない。
- ^ 昭和10年11月26日付 海軍大臣官房 官房第2749号ノ9。同通知は「昭和10年11月26日付 海軍公報 (部内限) 第2206号」に収録されている。
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- Ref.C05034350900『「第3814号 10.9.13 定数外消耗兵器供給の件 臨時海軍防備隊」』。
- 福田啓二 編『軍艦基本計画資料』今日の話題社、1989年。ISBN 4-87565-207-0。
- 雑誌「丸」編集部 編『写真 日本の軍艦 第14巻 小艦艇II』光人社、1990年。ISBN 4-7698-0464-4。
- 播磨造船所50年史編纂室 編『播磨造船所50年史』播磨造船所、1960年。