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小田切昌處

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小田切昌處
時代 江戸時代中期
生誕 寛文7年(1667年
死没 元文2年5月3日1737年6月1日
別名 主計
戒名 寂水
墓所 四谷松巌寺
主君 徳川将軍家
氏族 小田切氏
父母 父:小田切昌直、母:某氏
兄弟 昌處、女子(横山正喜妻)
安藤氏
昌貞、女子(横山正守妻)、昌宣
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小田切 昌處(おだぎり まさより)は、江戸時代中期の武士江戸幕府旗本

経歴

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徳川家宣に仕え、小姓を経て、書院番中奥の小姓となり、宝永元年12月5日1704年12月31日)に家宣が江戸城西の丸に入るとこれに従い御家人に列した[1]。蔵米260俵余を食み小普請となったのち、宝永4年12月4日1707年12月27日)西の丸焼火之間の番士となり、宝永6年10月29日1709年11月30日大番に列した[1]

のち番を辞し、享保15年12月3日1731年1月10日)致仕した[1]

脚注

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  1. ^ a b c 堀田 1923, 巻第三百九十四.

参考文献

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