山崎楽堂
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(山崎静太郎から転送)
山崎 楽堂(やまざき がくどう、1885年(明治18年)1月19日 - 1944年(昭和19年)10月29日)は日本の建築家、能楽研究者。法政大学教授。本名は静太郎(せいたろう)。息子は、能楽評論家で前横浜能楽堂館長の山崎有一郎。
略歴・人物
[編集]1885年(明治18年)1月19日、和歌山県に生まれる。山崎家は旧紀州藩士の家で、父・九一郎は大蔵流の名家松井氏に狂言を学び、楽堂も幼時から能・狂言に親しんだ。1909年(明治42年)に東京帝国大学建築学科を卒業する(同期に後藤慶二、長谷部鋭吉などがいる)。千葉高等園芸学校講師、法政大学教授などを務め、梅若能舞台、細川家能舞台、染井能楽堂、久良岐能舞台の設計に携わる。また、喜多流の謡をたしなみ、川崎九淵について葛野流大鼓を学び、研究家としては囃子に精通し、地拍子の理論を確立、鼓の胴に造詣が深かった。1944年(昭和19年)10月29日に死去、享年60。
その他
[編集]法政大学の校章は、山崎が教授時代に考案したもので、長い伝統と永遠の真理をイメージして「大学」の二文字を亀の子型に図案化したものである。
また、法政騒動のときに、喜多文子五段(当時)の紹介で頭山満に会い、騒動の仲裁を依頼している(仲裁そのものは実現しなかったようである)。
著書
[編集]- 『詳説用器画法講義』(尚文堂、1914)
- 『家と人と』(趣味叢書発行所、1915)
- 『皷筒之鑑定』(共)生田耕一(わんや謡曲書肆、1917)
- 『独習用謡曲地拍子精義』(わんや江島謠曲書肆、1918)
- 『囃子合方謡出諷篏要義』(わんや書店、1921)
- 『各曲割附観世流地拍子通解(第1-6巻)』(能楽書院、1921)
- 『地拍子符号釈義』(わんや書店、1923)
- 『謡番組作成示針』(わんや書店、1924)
- 『観世流地拍子詳解』(観世流改訂本刊行会、1926)
- 『観能之予備知識』(わんや書店、1926)
参考
[編集]- kotobank > 山崎楽堂とは
- 文化遺産オンライン - 「江戸城本丸舞台青写真」
- 『近世怪人伝』夢野久作(黒白書房、1935)