コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

岡本一巳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岡本一己から転送)
岡本一巳

岡本 一巳[注 1](おかもと かずみ、1881年明治14年)12月2日[1] - 1947年昭和22年)11月19日[2][注 2])は、日本の政治家実業家

経歴

[編集]

岩手県盛岡市出身[3][注 3]明治法律学校専修学校で学ぶ[2][注 4]。実業界に進み、盛岡新聞社を創設した他、岩手銀行支配人、扶桑新聞社政治経済部長、大阪新報社政治部長兼外交部長などを歴任した[2]

1932年2月の第18回衆議院議員総選挙に栃木県第二区で立憲政友会から出馬して当選し[4]、衆議院議員を一期務めた[2]1934年2月に立憲政友会から第一控室に移る[5]1935年3月には尾崎行雄床次竹二郎らと院内会派「無所属室」を結成し、加入する[6]1936年第19回衆議院議員総選挙では栃木県第一区から中立(無所属)で出馬したが、最下位で落選した[7]

帝人事件は、1934年2月の衆議院本会議で、岡本が台湾銀行の所有株売却に関し政府を追及したことがきっかけになったものである。

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 『岩手人名辞典』54頁では「岡本 肆山(おかもと しざん)」との見出しで「本名は庄蔵」との記述あり。また、末尾に「栃木県選出の代議士となり、政友会に所属した。」との記述があるため、同一人物と思われる。
  2. ^ 『岩手人名辞典』54頁では「生没年不詳」と記載。
  3. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』150頁では「東京都出身」と記載。
  4. ^ 学歴は『岩手人名辞典』54頁では「岩手師範附属小学校から岩手県尋常中学校(現盛一高)に入るが2年で中退。」との記述がある。

出典

[編集]
  1. ^ 衆議院公報附録『第61回帝国議会衆議院議員名簿』衆議院事務局、1932年、13頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』150頁。
  3. ^ 『岩手人名辞典』54頁。
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』99頁。
  5. ^ 『議会制度百年史 院内会派編衆議院の部』387頁。
  6. ^ 『議会制度百年史 院内会派編衆議院の部』393頁。
  7. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』106頁。

参考文献

[編集]
  • 『政界を爆撃す』大文社、1934年。 
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 院内会派編衆議院の部』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『岩手人名辞典』(財)新渡戸基金、2009年。