コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

岩泉町立浅内小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岩泉町立浅内小学校
画像募集中
地図北緯39度49分12秒 東経141度43分29秒 / 北緯39.81994度 東経141.72475度 / 39.81994; 141.72475座標: 北緯39度49分12秒 東経141度43分29秒 / 北緯39.81994度 東経141.72475度 / 39.81994; 141.72475
過去の名称 公立浅内小学校
浅内簡易小学校
大川村立浅内尋常小学校
大川村立浅内尋常高等小学校
大川村浅内国民学校
大川村立浅内小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 浅内村(1879年 - 1889年)
大川村(1889年 - 1956年)
岩泉町(1956年 - 2019年)
設立年月日 1879年10月20日
閉校年月日 2019年3月31日
共学・別学 男女共学
分校 木原分校(1975年廃止)
1964年 - 1971年
学期 3学期制
校地面積 13,896 m2[1]
校舎面積 982 m2[1]
所在地 028-2231
岩手県下閉伊郡岩泉町浅内字上野82
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

岩泉町立浅内小学校(いわいずみちょうりつ あさないしょうがっこう)は、岩手県下閉伊郡岩泉町にあった公立小学校。通称は浅小(あさしょう)。

概要

[編集]

学制発布後の1879年に開校し、町学校適正配置基本計画[2]により2019年をもって閉校した小学校である[3][4]。校名に「浅内」を冠していたのは、この地区一帯が1889年まで浅内村だったことに由来している。岩泉町の中南部を占める旧浅内村域は、1956年の大川村廃止後からは「岩泉町浅内」と称しており、同地区の全域を学区としていた[5]

校歌は1964年に制定された。太田屋貞雄が作詞し、千葉了道が作曲した。歌は3番まである[6]

沿革

[編集]

浅内集落に1879年、公立浅内小学校として開校した[3]。1939年に本校から約4キロ離れた岩泉町鼠入地区に開校した木原分校は、有芸小学校の分校として開校したが後に当校の分校として移行された。へき地等級で上から2番目の4級に指定される地域に位置しており、1972年度には岩泉町内の小学校で最も少ない3人の児童数だった。1971年に岩泉小学校へ統合されたが、1973年の完全統合までは岩泉小学校木原校舎として所在していた[7]

かつて併設していた浅内中学校とは密接に関わり、各種行事の際には地域住民も一体となって盛り上げていた[3]。一時期は90人以上を数えた生徒数は徐々に減少してゆき、1980年代後半に差し掛かると10人程度となり1992年を以って岩泉中学校(岩泉町岩泉)へ統合された。同年には今後の児童数の推計から複式学級の常態化を考慮して、3室の普通学級と6室の特別教室を設けた鉄筋コンクリート造2階建ての新校舎と体育館が落成し、閉校時まで利用された[1][8]

2016年に発生した「平成28年台風第10号」で甚大な被害をもたらし、小本川と並行する国道455号が寸断され通学不可になったことから、隣校である二升石小学校の一部学区が孤立した。当面の間は二升石小学校に在籍する4人の児童は、最寄りであった当校へ通学[要出典]せざるを得ない状況となった[9]

かつては100人以上の児童を抱えていたが、可住地面積の小さい山間部に位置しており比較的小規模な集落を学区としていた。その特性もあり、少子化過疎化が進行して1962年度の195人をピークに急激な減少を続け、1980年代後半から1990年代頃までは25人前後で推移していた。その後は緩やかに減少し、2016年度より一桁台となり町内の小学校では最小クラスに匹敵していた。年度によっては新入生が居らず、入学式が行えないことがあった[10]

岩泉町が2014年度に策定した「町学校適正配置基本計画」に基づき、より良い教育環境を実現するため保護者や地域住民を対象に協議を重ねてゆき、2018年12月に行われた岩泉町12月定例会において町内最大規模の岩泉町立岩泉小学校(岩泉町岩泉)へ2019年4月に統合する旨の条例改正案が可決した為、同年3月を以っての閉校が決定した[2]。2019年3月16日には最後の卒業式を挙行し、1人の卒業生を送り出した[11]。翌日には閉校式と思い出を語る会が開かれ、かつての卒業生や校長などが集結する中で、6人の全校児童が地域で代々継承されている川代鹿踊りを披露した。3月31日を以って同じく岩泉小学校へ統合する二升石小学校と共に閉校し、1879年の開校から140年の歴史に終止符を打ち、延べ1,600人ほどの児童を送り出した[3][12]

2023年3月17日には、地区民が企画した「幻の卒業式」を開催した。閉校時に2学年で最後の入学生であった児童の小学校卒業に合わせて行われた[4][13]

閉校により使用されなくなった校舎・体育館などの有効活用を図るため、2021年より岩泉町の公式ホームページ内で利活用をしたい希望者を募集している[8]

年表

[編集]
  • 1879年明治12年)10月20日 - 公立浅内小学校として開校[3][14]
  • 1886年(明治19年)11月 - 「浅内簡易小学校」に改称[15]
  • 1892年(明治25年)4月1日 - 「大川村立浅内尋常小学校」に改称[15][16]
  • 1902年(明治35年) - 新校舎を落成し、移転[6]
  • 1912年大正元年)12月1日 - 現在地に新校舎を落成し、移転[6][17]
  • 1936年昭和11年) - 大川村立浅内青年学校[18]を併設[6]
  • 1937年(昭和12年) - 高等科を併設し、「大川村立浅内尋常高等小学校」に改称[6]
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行に伴い、「大川村浅内国民学校」に改称[6]
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学校教育法施行に伴い、「大川村立浅内小学校」に改称[6]。大川村立大川中学校浅内分校[19]を併設[20]
  • 1955年(昭和30年) - 新校舎を落成[6]
  • 1956年(昭和31年)9月30日 - 町村合併に伴い、「岩泉町立浅内小学校」に改称[6]
  • 1957年(昭和32年) - 校章を制定[6]
  • 1964年(昭和39年) - 有芸小学校木原分校が当校の分校に移行[21]校歌を制定[6]
  • 1965年(昭和40年) - 体育館を落成。校旗が寄贈される[6]
  • 1971年(昭和46年)4月1日 - 木原分校が岩泉小学校へ名目統合[21][22]。岩泉小学校木原分校舎へ移行[7]
  • 1975年(昭和50年)4月1日 - 木原分校舎が岩泉小学校鼠入分校へ統合[21][23]
  • 1979年(昭和54年)
    • 創立100周年記念式典を開催[6]
    • 10月 - 浅内小中学校創立100年32年記念誌「浅内教育百年の歩み」を発行[24]
  • 1992年平成4年)
    • 新校舎と新体育館を落成[8]
    • 3月31日 - 併設していた浅内中学校が閉校[3]
  • 2009年(平成21年)10月 - 創立130周年記念文集「希望の丘に陽は満ちて」を発行[25]
  • 2010年(平成22年)5月15日 - 創立130周年を記念し、サクラの苗木を植樹[26]
  • 2014年度(平成26年度) - 岩泉町が「町学校適正配置基本計画」を策定し、統合の対象となる[2]
  • 2016年(平成28年)9月7日 - 平成28年台風第10号により同日から1週間休校[12]。また道路が寸断されたことにより[27]当面の間は二升石小学校の4人の児童が当校へ通学[要出典]
  • 2018年(平成30年)12月 - 岩泉町定例会にて岩泉小学校へ統合する条例改正案が可決[2]
  • 2019年(平成31年)
    • 3月16日 - 最後の卒業式を挙行[3]
    • 3月17日 - 閉校式・思い出を語る会を開催[12]
    • 3月31日 - 岩泉町立岩泉小学校への統合に伴い、閉校[28][3]
  • 2023年令和5年)3月17日 - 幻の卒業式を開催(地区民主催)[13]

施設概要

[編集]

主な施設を掲載。

※プールは設置されていなかった[1]

空中写真(2016年9月)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

児童・学級数

[編集]

本校の児童・学級数

[編集]

1881年度以降の児童数と学級数の推移。1957年度から1985年度、2000年度以降は毎年度掲載。

年度 児童数 増減 学級数 増減 出典 備考
1881(明治14)年度 12 不明 [30]
1910(明治43)年度 不明 1 [16]
1918(大正7)年度 2 1 [31]
1922(大正11)年度 2 0 [32]
1926(大正15)年度 1 -1 [33]
1949(昭和24)年度 125 不明 [34]
1955(昭和30)年度 126 1 4 [19]
1957(昭和32)年度 130 4 5 1 [35]
1958(昭和33)年度 170 -25 6 1 [36]
1959(昭和34)年度 130 -40 5 -1 [37]
1960(昭和35)年度 189 59 6 1 [38]
1961(昭和36)年度 189 0 6 0 [39]
1962(昭和37)年度 195 6 6 0 [40]
1963(昭和38)年度 170 -25 6 0 [41]
1964(昭和39)年度 160 -10 6 0 [42]
1965(昭和40)年度 160 0 6 0 [43]
1966(昭和41)年度 160 0 6 0 [44]
1967(昭和42)年度 156 -4 6 0 [45]
1968(昭和43)年度 147 -9 6 0 [46]
1969(昭和44)年度 150 3 6 0 [47]
1970(昭和45)年度 142 -8 6 0 [48]
1971(昭和46)年度 133 -9 6 0 [49]
1972(昭和47)年度 113 -20 6 0 [50]
1973(昭和48)年度 100 -13 6 0 [51]
1974(昭和49)年度 87 -13 6 0 [52]
1975(昭和50)年度 76 -11 6 0 [53]
1976(昭和51)年度 72 -4 5 -1 [54] 複式学級発生
1977(昭和52)年度 65 -7 5 0 [55]
1978(昭和53)年度 63 -2 5 0 [56]
1979(昭和54)年度 61 -2 5 0 [57]
1980(昭和55)年度 55 -6 4 -1 [58]
1981(昭和56)年度 42 -13 3 -1 [59]
1982(昭和57)年度 33 -9 3 0 [60]
1983(昭和58)年度 27 -6 3 0 [61]
1984(昭和59)年度 26 -1 3 0 [62]
1985(昭和60)年度 31 5 4 1 [63]
1988(昭和63)年度 26 -5 不明 [3]
1989(平成元)年度 27 1 [64]
1993(平成5)年度 23 -4
1998(平成10)年度 27 4
2000(平成12)年度 20 -7 3 [65]
2001(平成13)年度 16 -4 3 0 [66]
2002(平成14)年度 12 -4 3 0 [67]
2003(平成15)年度 13 1 3 0 [68]
2004(平成16)年度 12 -1 3 0 [69]
2005(平成17)年度 13 1 3 0 [70]
2006(平成18)年度 12 -1 3 0 [71]
2007(平成19)年度 11 -1 3 0 [72]
2008(平成20)年度 13 2 3 0 [73]
2009(平成21)年度 12 -1 3 0 [74]
2010(平成22)年度 12 0 3 0 [75]
2011(平成23)年度 12 0 3 0 [76]
2012(平成24)年度 11 -1 2 -1 [10]
2013(平成25)年度 12 1 3 1
2014(平成26)年度 12 0 3 0
2015(平成27)年度 10 -2 3 0 新入生なし[10]
2016(平成28)年度 8 -2 2 -1 新入生なし[10]
2017(平成29)年度 7 -1 2 0
2018(平成30)年度 6 -1 2 0 新入生なし[10]、閉校

分校の児童・学級数

[編集]

浅内小学校木原分校の1955年度以降の児童数と学級数の推移。1956年度以外は毎年度掲載。

年度 児童数 増減 学級数 増減 出典 備考
1955(昭和30)年度 10 1 [19]
1957(昭和32)年度 13 3 1 0 [77]
1958(昭和33)年度 10 -3 1 0 [78]
1959(昭和34)年度 13 3 1 0 [79]
1960(昭和35)年度 13 0 1 0 [38]
1961(昭和36)年度 15 2 1 0 [21] 児童数最多年度[21]
1962(昭和37)年度 9 -6 1 0 [40]
1963(昭和38)年度 9 0 1 0 [41]
1964(昭和39)年度 6 -3 1 0 [42] 当校の分校化
1965(昭和40)年度 6 0 1 0 [43]
1966(昭和41)年度 7 1 2 1 [44]
1967(昭和42)年度 6 -1 1 -1 [45]
1968(昭和43)年度 7 1 2 1 [46]
1969(昭和44)年度 7 0 2 0 [47]
1970(昭和45)年度 6 -1 2 0 [48]
1971(昭和46)年度 6 0 不明 [80]
1972(昭和47)年度 3 -3 1 [50] 名目統合済
1973(昭和48)年度 3 0 不明 [80]
1974(昭和49)年度 3 0 [21] 閉校

中学校の生徒・学級数

[編集]

岩泉町立浅内中学校の1955年度以降の生徒数と学級数の推移。1957年度から1985年度にかけては毎年度掲載。

年度 生徒数 増減 学級数 増減 出典 備考
1955(昭和30)年度 44 3 [19] 浅内分校時代
1957(昭和32)年度 66 22 3 0 [77]
1958(昭和33)年度 73 7 3 0 [36]
1959(昭和34)年度 83 10 3 0 [37]
1960(昭和35)年度 89 6 3 0 [38]
1961(昭和36)年度 89 0 3 0 [39]
1962(昭和37)年度 91 2 3 0 [40]
1963(昭和38)年度 103 12 3 0 [41]
1964(昭和39)年度 113 10 3 0 [42]
1965(昭和40)年度 117 4 3 0 [43]
1966(昭和41)年度 116 -1 3 0 [44]
1967(昭和42)年度 107 -9 3 0 [45]
1968(昭和43)年度 105 -2 3 0 [20]
1969(昭和44)年度 104 -1 3 0 [47]
1970(昭和45)年度 103 -1 3 0 [48]
1971(昭和46)年度 93 -10 3 0 [49]
1972(昭和47)年度 91 -2 3 0 [50]
1973(昭和48)年度 87 -4 3 0 [51]
1974(昭和49)年度 80 -7 3 0 [52]
1975(昭和50)年度 75 -5 3 0 [53]
1976(昭和51)年度 64 -11 3 0 [54]
1977(昭和52)年度 60 -4 3 0 [55]
1978(初和53)年度 49 -11 3 0 [56]
1979(昭和54)年度 43 -6 3 0 [57]
1980(昭和55)年度 42 -1 3 0 [58]
1981(昭和56)年度 44 2 3 0 [59]
1982(昭和57)年度 43 -1 3 0 [60]
1983(昭和58)年度 34 -9 3 0 [61]
1984(昭和59)年度 30 -4 3 0 [62]
1985(昭和60)年度 28 -2 3 0 [63]
1989(平成元)年度 12 -16 不明 [64]
1991(平成3)年度 不明 閉校

学区

[編集]
  • 下閉伊郡岩泉町浅内の行政区
    • 浅内
    • 栗畑
    • 川代
    • 大沢

出典:[5]

進学先の中学校

[編集]

アクセス

[編集]

浅内集落の高台に位置していた。

バス

[編集]

自動車

[編集]
  • 東北電力浅内発電所前のT字路交差点(岩泉町浅内字下先祖畑)から国道340号経由で約3分
  • 国道340号と県道171号のT字路交差点(岩泉町大川字舞の子)から国道340号経由で約10分

※2014年まで浅内駅JR東日本岩泉線)が付近に所在していたが、廃線に伴い廃止された。

周辺

[編集]
  • 岩泉町消防団第六分団第三部屯所
  • 浅内駅(廃駅)
  • 岩手浅内簡易郵便局

脚注

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h 岩泉町統計書 第10号 平成30年度版 - 11. 教育・文化”. 岩泉町公式ホームページ. 岩泉町. p. 82. 2023年11月4日閲覧。
  2. ^ a b c d 議会だより「いわいずみ」第185号”. 岩泉町 (2019年1月29日). 2022年10月9日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i 広報いわいずみ 2019年5月号”. 岩泉町 (2019年5月1日). 2024年11月29日閲覧。
  4. ^ a b たった1人の“卒業生” 小学校閉校の地域で住民が企画 「幻の卒業式」」『IBC岩手放送』2023年3月17日。オリジナルの2023年4月9日時点におけるアーカイブ。2023年3月20日閲覧。
  5. ^ a b c 町立小学校及び中学校の住所ごとの学区一覧”. 岩泉町公式ホームページ. 岩泉町. 2019年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月4日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m 岩泉町立浅内小学校閉校記念事業推進委員会 編『岩泉町立浅内小学校 閉校記念誌 浅内の伝統(つたえ)の窓』岩泉町立浅内小学校閉校記念事業推進委員会、2019年3月。 
  7. ^ a b 村中知子「学校統合と住民運動」『教育社会学研究』第28巻、日本教育社会学会、1973年、173-186頁、doi:10.11151/eds1951.28.1732023年4月19日閲覧 
  8. ^ a b c 廃校舎利活用希望者を募集します”. 岩泉町公式ホームページ. 岩泉町. 2022年10月9日閲覧。
  9. ^ いわての復興教育推進事業(震災学習列車活用スクール)成果報告書”. 岩手県. 2022年10月9日閲覧。
  10. ^ a b c d e 岩泉町立浅内小学校 - 学年別の児童数・学級数”. 学校教育情報サイトGaccom. ガッコム. 2022年10月9日閲覧。
  11. ^ 岩手)たった一人の卒業生、岩泉・浅内小139年で閉校」『朝日新聞』2019年3月17日。オリジナルの2022年10月15日時点におけるアーカイブ。
  12. ^ a b c 命と防災学び校史に幕 地域被災の県内2小閉校式」『岩手日報』2019年3月18日。オリジナルの2019年3月19日時点におけるアーカイブ。2024年1月20日閲覧。
  13. ^ a b 最後の入学生「幻の卒業式」岩泉・旧浅内小で門出を祝う」『岩手日報』2023年3月19日。オリジナルの2023年3月21日時点におけるアーカイブ。2023年3月20日閲覧。
  14. ^ 関口喜多路 1980, p. 517.
  15. ^ a b 関口喜多路 1980, p. 518.
  16. ^ a b 帝国小学校名簿』東京書籍商組合、1910年10月、380頁。doi:10.11501/813004https://dl.ndl.go.jp/pid/813004/1/2012023年11月1日閲覧 
  17. ^ 関口喜多路 1980, p. 520.
  18. ^ 文部省社会教育局『青年学校名簿 昭和11年4月末日現在』文部省社会教育局、1937年3月30日、150頁。doi:10.11501/1278127https://dl.ndl.go.jp/pid/1278127/1/842023年11月4日閲覧 
  19. ^ a b c d 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和31年版』文化研究社、1956年5月25日、45,80頁。doi:10.11501/3032777 
  20. ^ a b 専修大学地理学研究会『専修大学地理学研究会紀要 (15)』専修大学地理学研究会、1968年12月、58頁。doi:10.11501/6081702 
  21. ^ a b c d e f 岩泉民間伝承研究会『いわいずみふるさとノート 1986』岩泉民間伝承研究会、1986年7月31日、125-127頁。doi:10.11501/9572203 
  22. ^ 公立小・中学校の統廃合状況一覧(昭和36年以降)”. 岩手県 (2024年). 2024年11月29日閲覧。
  23. ^ 広報いわいずみ No.736 - ありがとう鼠入分校”. 岩泉町 (2005年4月1日). 2011年1月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月4日閲覧。
  24. ^ 岩泉町立浅内小学校100周年・中学校32周年記念事業推進委員会 編『浅内教育百年の歩み 浅内小中学校創立100年32年記念誌』岩泉町立浅内小学校100周年・中学校32周年記念事業推進委員会、1979年10月。 
  25. ^ 岩泉町立浅内小学校 編『創立百三十周年記念文集 希望の丘に陽は満ちて』岩泉町立浅内小学校、2009年10月。 
  26. ^ 岩泉町浅内小で桜を植樹 創立130周年を祝う”. いわいずみブログ. 2022年10月9日閲覧。
  27. ^ いわての復興教育推進事業(震災学習列車活用スクール)成果報告書”. 岩手県. 2022年10月9日閲覧。
  28. ^ 学校一覧 令和元年度”. 岩手県. p. 15 (2019年). 2024年11月29日閲覧。
  29. ^ a b 現在活用用途を募集している廃校施設の一覧(東北)”. 文部科学省. p. 10 (2024年1月1日). 2024年1月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月20日閲覧。
  30. ^ 学校幼稚園書籍館博物館一覧表 明治14年』文部省、1882年、874頁。doi:10.11501/812644https://dl.ndl.go.jp/pid/812644/1/4462024年1月20日閲覧 
  31. ^ 東京書籍商組合『帝国小学校名簿 再版』東京書籍商組合事務所、1919年、411頁。doi:10.11501/939365https://dl.ndl.go.jp/pid/939365/1/2172023年11月1日閲覧 
  32. ^ 東京書籍商組合『全国小学校名簿』東京書籍商組合事務所、1922年、448頁。doi:10.11501/939366https://dl.ndl.go.jp/pid/939366/1/2292023年11月1日閲覧 
  33. ^ 帝国地方行政学会『全国学校名鑑 大正15年版』帝国地方行政学会、1926年3月20日、719頁。doi:10.11501/937724https://dl.ndl.go.jp/pid/937724/1/3922023年11月1日閲覧 
  34. ^ 文教協会 編『全国学校総鑑』文教協会、1950年3月10日、69頁。doi:10.11501/9524048 
  35. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和33年版』文化研究社、1958年4月30日、88頁。doi:10.11501/3033357 
  36. ^ a b 全国学校教育振興会『学校年鑑 1959』山陽社、1958年10月20日、1532,1552頁。doi:10.11501/9524018 
  37. ^ a b 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和35年版』文化研究社、1960年3月30日、47,88頁。doi:10.11501/3041007 
  38. ^ a b c 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和36年版』文化研究社、1961年3月30日、47,87-88頁。doi:10.11501/3043685 
  39. ^ a b 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和37年版』文化研究社、1962年4月10日、47,88頁。doi:10.11501/3043687 
  40. ^ a b c 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和38年版』文化研究社、1963年4月10日、49,87頁。doi:10.11501/3043688 
  41. ^ a b c 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和39年版』文化研究社、1964年4月1日、49,87頁。doi:10.11501/3043689 
  42. ^ a b c 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和40年版』文化研究社、1965年3月10日、49,87頁。doi:10.11501/3043690 
  43. ^ a b c 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和41年版』文化研究社、1966年3月1日、49,87頁。doi:10.11501/3043691 
  44. ^ a b c 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和42年版』文化研究社、1967年2月20日、49,87頁。doi:10.11501/3043692 
  45. ^ a b c 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和43年版』文化研究社、1968年1月20日、49,87頁。doi:10.11501/3043693 
  46. ^ a b 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和44年版』文化研究社、1969年2月15日、87頁。doi:10.11501/9528544 
  47. ^ a b c 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和45年版』文化研究社、1970年2月1日、49,87頁。doi:10.11501/9528545 
  48. ^ a b c 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和46年版』文化研究社、1971年2月1日、49,86頁。doi:10.11501/12245606 
  49. ^ a b 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和47年版』文化研究社、1972年2月1日、49,86頁。doi:10.11501/12246676 
  50. ^ a b c 不破和彦「学校統合と村落構造-岩手県下閉伊郡岩泉町の事例-」『研究年報』第22巻、東北大学教育学部、1974年、76-77頁、CRID 1050282677722740352hdl:10097/13772ISSN 0493-3958 
  51. ^ a b 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和49年版』文化研究社、1974年2月1日、49,84頁。doi:10.11501/12246885 
  52. ^ a b 福武書店『全国学校名鑑 昭和50年版』福武書店、1974年10月1日、443,810頁。doi:10.11501/12244266 
  53. ^ a b 岩手県教育委員会『学校一覧 昭和50年度』岩手県教育委員会、1975年8月、62,64頁。doi:10.11501/12114708 
  54. ^ a b 岩手県教育委員会『学校一覧 昭和51年度』岩手県教育委員会、1976年8月、68,70頁。doi:10.11501/12109822 
  55. ^ a b 岩手県教育委員会『学校一覧 昭和52年度』岩手県教育委員会、1977年、64,66頁。doi:10.11501/12111553 
  56. ^ a b 岩手県教育委員会『学校一覧 昭和53年度』岩手県教育委員会、1978年、64,66頁。doi:10.11501/12111552 
  57. ^ a b 岩手県教育委員会『学校一覧 昭和54年度』岩手県教育委員会、1979年、66,68頁。doi:10.11501/12111551 
  58. ^ a b 岩手県教育委員会『学校一覧 昭和55年度』岩手県教育委員会、1980年、76,78頁。doi:10.11501/12111550 
  59. ^ a b 岩手県教育委員会『学校一覧 昭和56年度』岩手県教育委員会、1981年、116,118頁。doi:10.11501/12111632 
  60. ^ a b 岩手県教育委員会『学校一覧 昭和57年度』岩手県教育委員会、1982年、114,116頁。doi:10.11501/12111631 
  61. ^ a b 岩手県教育委員会『学校一覧 昭和58年度』岩手県教育委員会、1983年、112,114頁。doi:10.11501/12111633 
  62. ^ a b 岩手県教育委員会『学校一覧 昭和59年度』岩手県教育委員会、1984年、114,116頁。doi:10.11501/12111494 
  63. ^ a b 岩手県教育委員会『学校一覧 昭和60年度』岩手県教育委員会、1985年、114,116頁。doi:10.11501/12111488 
  64. ^ a b Ⅲ 資料編”. 岩泉町公式ホームページ. 岩泉町. p. 76. 2022年10月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月9日閲覧。
  65. ^ 宮古地域の小・中学校”. 岩手県. 2001年2月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月1日閲覧。
  66. ^ 宮古地域の小・中学校”. 岩手県. 2002年4月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月1日閲覧。
  67. ^ 宮古地域の小・中学校”. 岩手県. 2003年1月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月1日閲覧。
  68. ^ 学校一覧 平成15年度”. 岩手県. p. 40 (2003年). 2004年7月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月1日閲覧。
  69. ^ 学校一覧 平成16年度”. 岩手県. p. 40 (2004年). 2004年12月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月1日閲覧。
  70. ^ 学校一覧 平成17年度”. 岩手県. p. 42 (2005年). 2007年2月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月1日閲覧。
  71. ^ 学校一覧 平成18年度”. 岩手県. p. 40 (2006年). 2022年10月9日閲覧。
  72. ^ 学校一覧 平成19年度”. 岩手県. p. 40 (2007年). 2022年10月9日閲覧。
  73. ^ 学校一覧 平成20年度”. 岩手県. p. 42 (2008年). 2022年10月9日閲覧。
  74. ^ 学校一覧 平成21年度”. 岩手県. p. 37 (2009年). 2022年10月9日閲覧。
  75. ^ 学校一覧 平成22年度”. 岩手県. p. 36 (2010年). 2022年10月9日閲覧。
  76. ^ 学校一覧 平成23年度”. 岩手県. p. 36 (2011年). 2022年10月9日閲覧。
  77. ^ a b 関口喜多路 1980, p. 524.
  78. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和34年版』文化研究社、1959年4月30日、87-88頁。doi:10.11501/3043684 
  79. ^ 教育設備助成会『へき地学校名簿』教育設備助成会、1961年、2頁。doi:10.11501/9546416 
  80. ^ a b 歴史教育者協議会岩手大会地元実行委員会 編『東北はいま : その現状と展望』あゆみ出版、1986年8月20日、79頁。doi:10.11501/9571639 

参考文献

[編集]
  • 関口喜多路『岩泉地方史 上』岩泉町教育委員会、1980年3月30日。doi:10.11501/9570241 

関連項目

[編集]