嶽六所神社
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嶽六所神社 | |
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所在地 | 秋田県大仙市神宮寺字落貝7 |
位置 | 北緯39度28分50秒 東経140度26分11秒 / 北緯39.48056度 東経140.43639度座標: 北緯39度28分50秒 東経140度26分11秒 / 北緯39.48056度 東経140.43639度 |
主祭神 | 大田命、興玉命、句々土神、山祇命、磐戸命、鹽槌翁 |
社格等 | 式内社(論社)、旧郷社 |
創建 | 伝・大宝年間(701年 - 704年) |
例祭 | -- |
地図 |
嶽六所神社(だけろくしょ じんじゃ)は、秋田県大仙市にある神社。式内小社、旧社格は郷社。
由緒
[編集]社伝では大宝年間(701年 - 704年)の創建という。式内社である「山本郡 一座 小 副川神社」のあった場所とされている。中世には修験道の影響で観音信仰や八幡信仰の場となり、本来の祭神が忘れ去られていた。江戸時代に入り秋田藩主佐竹義格が藩内古社の復興を行った際に現副川神社(現・秋田県八郎潟町)の場所が比定地とされ、秋田藩三国社に列せられているが、古代山本郡は近世以降の仙北郡であり、皇學館大学[1]や郷土史家等の調査ではこちらが本来の副川神社であるとされている。副川神社の論社には、他に添川神明社(現秋田県秋田市添川)(志賀剛氏説[2])があるが、一般的には本神社と里宮である八幡神社が古社地であり、近世に復興されたのが現副川神社と言われている。
祭神
[編集]大田命、興玉命(2柱とも猿田彦命の子孫とされている)、句々土神、山祇命、磐戸命、鹽槌翁
祭事
[編集]3月第3日曜日:梵天奉納
境内外社
[編集]里宮:八幡神社(大仙市神宮寺字神宮寺19-1)
年表
[編集]<>は関連事項
- 700年頃(大宝年間):伝創建
- 810年頃(大同年間):里宮伝創建
- 1602年(慶長7年):<佐竹義宣、秋田入封>
- 1868年(明治1年)3月:<神仏分離令>
- 1871年(明治4年)5月14日:<社格制度制定>
- 1872年(明治5年):八幡神社、郷社に列せられる
交通
[編集]バス
[編集]脚注
[編集]- ^ 式内社研究会編『式内社調査報告第12巻』 皇學館大學出版部、1981年
- ^ 志賀剛『式内社の研究 第10巻 東山道』 雄山閣、1986年、ISBN 4639006160