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左 棻(さ ふん、? - 300年)は、中国西晋の武帝司馬炎の貴人(側室)。字は蘭芝。斉国臨淄県の人。文人左思の妹。
寒門の出身であり、醜い容貌の女性であったが、文才は群を抜いていた。
泰始8年(272年)、武帝が評判を聞き、修儀(九嬪の一つ)として後宮に召した。家族も首都の洛陽に移された。その後、貴人(三妃の一つ)に封ぜられた。
武帝からの寵愛はなかったが、文才のため高い礼遇を受けた。詔を受けて、多くの賦と頌を作った。永康元年(300年)、薨去した。