笑ハンティング
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(廣井章人から転送)
メンバー |
中田ゆうじ 宮本たつみ |
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別名 | 笑ハン兄さん |
結成年 | 1994年 |
解散年 | 2015年 |
事務所 |
吉本興業札幌支社 →吉本興業東京本社 |
活動時期 | 1994年1月 - 2015年3月 |
師匠 | 中田ボタン(中田) |
出身 | NSC大阪校8期(宮本) |
旧コンビ名 |
まさし・裕士(中田) 中田尚希・裕士(中田) テイクオフ(宮本) |
現在の活動状況 | 解散(宮本はピンで活動) |
過去の代表番組 |
虎のバター 笑ハンティングのアゲ曼陀羅 など |
同期 |
中田 月亭方正 など 宮本 千原兄弟 FUJIWARA バッファロー吾郎 なだぎ武 など |
公式サイト | 公式プロフィール |
受賞歴 | |
1990年 第11回今宮こどもえびす新人漫才コンクール福笑い大賞 (中田) |
笑ハンティング(しょうハンティング)は、かつて吉本興業札幌支社に所属していた日本のお笑いコンビ。1994年1月結成。2015年3月解散。2010年4月から東京吉本で活動していた。
メンバー
[編集]- 中田 ゆうじ(本名:廣井 章人、1966年7月8日 - )
- 宮本 たつみ(本名:宮本 龍見、1969年3月16日 - )
- ボケ担当。立ち位置は向かって右。
- 大阪府東大阪市出身。大阪桐蔭高等学校、大阪産業大学出身。O型。
- 大阪NSC8期生。同期は千原兄弟、FUJIWARA、バッファロー吾郎など。かつては松岡秀次と「テイクオフ」というコンビで活動していた。
- 小学生時代のあだ名は「ミヤーン」。中学生時代は「たつみ」。比較的裕福な家庭の出だったため、中学時代に持参していた弁当は当時の中学生からは考えられない味噌汁が温かいまま入れられるタイプの物を持参していた。しかも中身は、昨晩の残り物の伊勢海老などが入っていた。
- 解散後は「龍見」の芸名で札幌吉本に復帰し、ローカルタレントとして活動。「TVhサマー競馬」「ガンキタ」などテレビ北海道の番組にレギュラー出演。
- すすきのでライブバーを経営する[1]。
来歴
[編集]1994年に吉本興業札幌事務所(後の吉本興業札幌支社)設立にあたって、大阪から派遣されるかたちで札幌市に移住。以後北海道を拠点に活動を展開し、テレビ北海道や北海道テレビ放送でレギュラー番組を持っていた。2010年4月から東京吉本に移籍した。
北海道に舞台で見せる本格派漫才を知らしめた存在であり、ろう者も楽しめる手話漫才にも取り組んでいた。札幌吉本1期生であるタカアンドトシにとっては唯一の直接的な先輩であり「笑ハン兄さん」と慕い芸人のいろはを教わったという。また、布川ひろき(トム・ブラウン)も世話になった先輩として名前をあげている一方で[2]、長谷川雅紀(錦鯉)は自身が組んでいたコンビ(まさまさきのり)を含めた若手勢にはそれほど関与して来なかったと当時の印象を振り返っている[3]。
2015年2月15日に放送されたタカアンドトシがゲスト出演した回の「ウチくる!?」にて、同年3月をもって解散する事が発表された。
受賞歴
[編集]- 1990年 第11回今宮こどもえびす新人漫才コンクール 福笑い大賞(中田ゆうじのみ)
出演
[編集]テレビ
[編集]ラジオ
[編集]- 吉本ラジオ当番(北海道内コミュニティFM局)
舞台
[編集]- 笑道(北海道文化放送)※月一、MC担当
CM
[編集]- ゴールドラッシュ ケーエヌ三幸株式会社
- 札幌西タイヤセンター(ラジオCM)
脚注
[編集]- ^ “お笑いLiveバーKuruKuru” (jp). お笑いLiveバーKuruKuru. 2023年1月19日閲覧。
- ^ “トム・ブラウン 布川『憧れの人』”. トム・ブラウン 布川オフィシャルブログ「トム・ブラウンのがちょんブログ」 Powered by Ameba. 2022年9月15日閲覧。
- ^ “M-1決勝進出 錦鯉・長谷川雅紀が語る全く売れなかった暗黒時代「思わず涙したお母さんの納豆おにぎり」 (2021年12月10日) - エキサイトニュース(2/6)”. エキサイトニュース. 2022年10月28日閲覧。
外部リンク
[編集]- タレントサーチ - ウェイバックマシン(2007年12月18日アーカイブ分)
- 笑ハンティング 公式プロフィール
- 龍見 公式プロフィール
- 龍見 (@kurukurutatsumi) - X(旧Twitter)