後三国石珠演義
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(後三國石珠演義から転送)
『後三国石珠演義』(こうさんごくせきじゅえんぎ)は、中国の清代に書かれた小説。原著者は不明で、刊行年代についても明確ではないが乾隆5年(1740年)が有力。
内容は、西晋の末期に石珠と劉弘祖が協力して、晋を滅ぼし、劉弘祖が漢王となり善政を施す場面で終わる。タイトルにも「後三国」とあり、三国鼎立から晋の天下統一までを描いている『三国志演義』の後日談とも言える作品。もっとも、妖術・方術使いが大量に登場する荒唐無稽な内容となっており、『三国志演義』のような歴史小説色はかなり薄い。また、主人公格のキャラクターである石珠はこの手の戦記物には異例であるが女性であり、また趙軍で最強の武将も烏夢月で女性となっている。
日本においては、寺尾善雄により、『後三國演義』として紹介されている。
成立過程
[編集]あらすじ
[編集]三国鼎立の時代は魏の天下統一により終わった。しかし、その魏も司馬氏により簒奪され、西晋が天下を治めることになった。その晋もやがて天命が尽きることになる。こうして、石珠は劉弘祖らと協力し趙を建国、晋を滅ぼすべく戦うことになるのだった。
登場人物
[編集]石珠軍
[編集]- 石珠(せき じゅ)
- 劉弘祖(りゅう こうそ)
- 本作の主人公。竜門山のいただきに天から降ってきた肉の玉の中から誕生するという、奇妙な生まれ方をした。そのさい、手のひらに「神霄子」と書かれていたので、幼名を神霄と名づけられる。姓は養父母から劉、名は弘祖、字は元海と名乗ることになる。
- 成長してからは段方山、石季竜、慕容庵らを率いて挙兵。後に石珠を趙王として石珠軍の五虎大将の筆頭として晋と戦うことになる。劉弘祖自身は指揮官であるため、あまり戦場で一騎討ちなどのはしないが、その際は金鞭を使う。晋の武将である孟観(後、石季竜に敗北)に敗れていることから、個人的な武勇はさほどでもないと思われる。最終的に、石珠から位を譲られ、漢王となり善政をしくことになる。
- 史実においては、劉淵に該当する人物。ただし、劉淵と劉弘祖はかなりの部分に差異がある。たとえば、作中では劉弘祖は養父母が漢室の流れを汲む者という設定になっている。
- 侯有方(こう ゆうほう)
- 段方山(だん ほうざん)
- 姓は段、諱はコン(王編に昆)、方山は字である。道術に長じ、異形の人から未来を洞察する秘伝を授かるが、定職にも就かず晋陽の街をふらふらしていた。もっとも、初期設定はともかく、作品中において彼の未来予知の能力が具体的に活躍する場面はない。
- 劉弘祖の所有する、石でできたカササギに導かれ、「劉弘祖に属す」「段方山に属す」と刻んである二振りの宝剣を発見し、これを劉弘祖に届けることで弘祖を縁を持つ。もっとも、劉弘祖は戦場においてはもっぱら金鞭を使い、段方山も槌を使用しているので、せっかく届けられた宝剣はあまり役に立つことはなかったようである。
- 義兄弟である石季竜、慕容庵とともに、五虎大将軍として劉弘祖の下で活躍する。モデルは段疾陸眷か?
- 石季竜(せき きりゅう)
- 慕容庵(ぼよう あん)
- 姓は慕陽、諱は庵、号は祖。もとは幽州の人であったが兵難を避け、山に隠れ猟師をしていた。宝剣を届けるべく旅をしていた段方山、石季竜らと出会い、意気投合して義兄弟となる。
- 五虎大将軍の一人で金簡の使い手。モデルは慕容廆か?
- 呼延晏(こえん あん)
- 稽有光(けい ゆうこう)
- 石珠軍の副軍師。太刀をよく使い、虎に騎乗している。作中において、途中で劉弘祖とは別ルートで晋陽目指して進軍したため、相対的に活躍は少なめ。ただ、そちらの別働隊のリーダーであったことから、軍師としてのみならず、将としての能力もあったようである。
- 単なる軍師でなく、方術にも優れており、楡の木が変化した愈三兄弟を退治した。また、武勇においても一騎討ちで司馬勤を倒している。
- 烏夢月(う むげつ)
- 烏桓の娘。父である烏桓が劉弘祖の側についたことを知らず、最初は晋側の人物として登場。女性であるがその武勇はすさまじく、「五花」という虎に似た怪獣に騎乗し、接近しては方天戟、距離をとって銀鎚を投げるという戦法を取り、方術抜きにすれば作品中で最強と思われる。
- 晋の武将として石季竜、呼延晏、仲弋の3人を生け捕りにした。その後、侯有方の方術により視界を絶たれたところを劉弘祖に敗北し、帰順。のちに劉弘祖の軍の中で諸将の演武を行ったところ、弘祖を除く五虎大将の全員と1対4で戦い、これに勝利し1位を獲得している。
晋
[編集]参考文献
[編集]- 『後三國演義』寺尾善雄 訳、秀英書房 : ISBN 9784879571144