コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

藤木勇人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
志ぃさーから転送)
ぃさー
本名 藤木 勇人
生年月日 (1961-01-09) 1961年1月9日(63歳)
出身地 日本の旗 日本沖縄県沖縄市
師匠 立川志の輔
名跡 1.立川志ぃさー(2013年 - ?)
2.志ぃさー(? - 2023年3月)
3.藤木志ぃさー(2023年4月 - )
公式サイト うちな〜噺家 志ぃさー
備考
1993年までりんけんバンド所属

藤木 勇人(ふじき はやと、1961年1月9日 - )は、沖縄県を拠点に日本全国で活動するマルチタレント。自称“うちなぁ噺家”。高座名は、2013年10月から立川志ぃさー(たてかわしぃさー)で[1]、のちに「立川」なしの志ぃさー(しぃさー)に[2]。 2023年4月に藤木志ぃさー(しぃさー)に改名した。[3]

経歴

[編集]

米軍占領下の沖縄・コザ(現沖縄市)で生まれ育つ。

20代の頃、郵便局保険外務員を勤めながら、現在沖縄県議会議員の玉城満が主宰していた当時はまだアマチュア集団だった「笑築過激団」のメンバーとして活動する一方、並行して24才より照屋林賢率いるりんけんバンドのメンバーともなった。30代郵便局、笑築歌劇団、りんけんバンドと抜けて一本立ちし、以後落語家立川志の輔に師事し、落語家としてではないが、今日に至るまで一人で活動する。

2001年に放送されたNHKの『ちゅらさん』シリーズに方言指導者を兼ねて出演したことで、彼が語る沖縄の言葉とともに全国区の人気を得るようになる。以後は沖縄県以外での活動の幅も増えており、現在は沖縄噺家、役者、コメディアン、随筆家、沖縄方言指導者、琉球文化研究者など、幅広い顔を持つ。

2013年10月1日に芸名を「立川志ぃさー」に改名し、同4日から那覇市で行われる寄席よりこの名前で出演していた[4]。その後、立川を返上して高座名「志ぃさー」で活動し[2]、2023年4月に藤木志ぃさーに改名[3]

活動歴

[編集]

映画

[編集]

テレビドラマ

[編集]

その他テレビ

[編集]

ラジオ

[編集]
  • ラジオ沖縄「ハイサイ!藤木勇人のヤマトde沖縄タイム」(2010年10月から。2013年10月から2014年9月までは「ハイサイ!立川志ぃさーのヤマトde沖縄タイム」または「ハイサイ!志ぃさーのヤマトde沖縄タイム」[2]
    全国にちりばめられた沖縄を、取材形式で東京で収録編集で沖縄全県区で放送。毎週月曜日夜8時より9時まで。ポッドキャストでも配信中
    その週の木曜日には再編集ののち、神奈川県の川崎コミュニティFMでも放送。
  • 沖縄熱中倶楽部(2007年から、NHK)
    制作は地元沖縄局が行うが、全国放送である。
  • FM沖縄「土曜のうちな〜バルPAIMUSICA」でバルのマスター役(毎週土曜21沖縄全島時放送中)
  • 特集オーディオドラマ「見よ、蒼い空に白い星」(2005年8月14日、NHK-FM

寄席

[編集]
  • 沖縄 笑々メンソーレ寄席 主催
  • 東京 かりゆし演芸まつり(高円寺演芸まつり参加)主催
  • 沖縄 笑い福らしゃ健康寄席 チャリティー公演 プロデュース
    • それぞれ年1回の開催

脚注

[編集]
  1. ^ プロフィール”. 志ぃさー公式サイト「ゆがふ」. 2013年10月15日閲覧。
  2. ^ a b c 2013年10月7日2014年9月22日 2014年9月29日
  3. ^ a b 2023年4月初めに、沖縄では芸名「志ぃさー」だけでは、どうしても芸が前に歩かないと思い、師匠である立川志の輔に相談した際に名前を授けられた旨、2023年4月28日放送のNHKラジオ第1放送沖縄熱中倶楽部」で言及した。
  4. ^ 藤木勇人改め「立川志ぃさー」 - 沖縄タイムス 2013年9月11日
  5. ^ a b NHK朝ドラ「ちむどんどん」に志ぃさー、「ちゅらさん」で沖縄居酒屋店主”. 日刊スポーツ. 株式会社日刊スポーツ新聞社 (2021年6月15日). 2021年6月15日閲覧。
  6. ^ “松岡茉優×宮本エリアナ「連続ドラマW フェンス」に青木崇高、JO1與那城奨ら”. 映画ナタリー (ナターシャ). (2022年11月22日). https://natalie.mu/eiga/news/502184 2022年11月23日閲覧。 

外部リンク

[編集]