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ゾルの外の碑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ゾルの外の碑チベット語ཞོལ་རྡོ་རིངས་ཕྱི་མ་ワイリー方式:zhol-rdo-rings phyi-ma)は、チベットラサポタラ宮にある記念碑石柱)である。

概要

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763年広徳元年)、吐蕃チム・シャン・ゲルシク・シュテン英語版(チベット語:མཆིམས་ཞང་རྒྱལ་ཟིགས་ཤུ་ཏེང 英語: mchims zhang rgyal zigs shu teng: 尚野息)とゲンラム・タクラ・ルコン英語版(チベット語:ངན་ལམ་སྟག་སྒྲ་ཀླུ་ཁོང 英語: ngan lam stag sgra klu kong: 恩兰·达札路恭)が20万の大軍を率いて長安陝西省西安市)を攻め、唐の代宗を追い出し、広武王李承宏を皇帝とし15日後に撤兵した。同碑はこの戦役を記念して建立されたものである。

碑文

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碑の北面、南面、東面にチベット文字で刻まれており、北面は68列、東面が16列、南面が74列となっている。

ウィキソースにチベット語の碑文があります。

碑文内の「ゲンラム・タクラ・ルコン」について

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漢文資料[1]では、長安を陥落させた吐蕃の将に「馬重英」の名があるが、吐蕃のティソン・デツェンの時期の名臣である「ゲンラム・タクラ・ルコン」と「馬重英」の事績が一致することから、この二者が同一人物であることが指摘されている[2][3][4]

脚注

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  1. ^ 『旧唐書』巻196 吐蕃伝上
  2. ^ 李方桂「馬重英考」(丁邦新主編『李方桂全集』1漢藏語論文集、精華大学出版社、2012年所収、1956年初出)
  3. ^ 李方桂「藏文 sTag sgra klu khong考」(丁邦新主編『李方桂全集』1漢藏語論文集、精華大学出版社、2012年所収、1983年初出)
  4. ^ 任小波「763年の吐蕃による長安陥落の再検討」(『学習院大学国際研究教育機構研究年報』第2号、2016年)

参考文献

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  • 王堯「恩蘭·達札路恭紀功碑」(『社会科学戦線』1981年4期)。
  • 佐藤長『古代チベット史研究』 下、同朋舎、1977年、523-525頁。 
  • 任小波 著「763年の吐蕃による長安陥落の再検討」、学習院大学国際研究教育機構 編『学習院大学国際研究教育機構研究年報』 2巻、2016年。 
  • 『旧唐書』巻196 吐蕃伝上
  • 李方桂「馬重英考」(丁邦新主編『李方桂全集』1漢藏語論文集、精華大学出版社、2012年所収、1956年初出)。
  • 李方桂「藏文 sTag sgra klu khong考」(丁邦新主編『李方桂全集』1漢藏語論文集、精華大学出版社、2012年所収、1983年初出)。