手野のスギ
手野のスギ(てののスギ)は、熊本県阿蘇市一の宮町手野の国造神社境内に生育していたスギ(杉)の巨木である[1][2]。国造神社の祭神である速瓶玉命(はやみかたまのみこと)手植えの木と伝えられ、推定の樹齢は1000年以上とも2000年ともされていた[1][2][3][4]。1924年(大正13年)に国の天然記念物に指定されたが、1991年(平成3年)の台風被害で主幹が折損し、その後枯死が確認されたため2000年(平成12年)に天然記念物の指定を解除されている[注釈 1][1][2][3][5]。
由来
[編集]手野の集落は、阿蘇の外輪山東北の古城ヶ鼻(こじょうがはな)と象ヶ鼻(ぞうがはな)[注釈 2]に挟まれた山のふもとにある[2]。集落の一番奥に、国造神社が鎮座している。国造神社は、平安時代の延長5年(927年)にまとめられた『延喜式神名帳』に「肥後国四座」の1つとして記された熊本県内でも最も古い神社の1つである[2][3][4]。
国造神社は阿蘇を開拓した健磐龍命の長子である速瓶玉命とその后雨宮媛命(あまみやひめのみこと)、そしてその子、高橋神(たかはしのかみ)と火宮神(ひみみやのかみ) の4柱を祭神として祀る[3][4]。阿蘇神社から見て北方にあるため、「北宮」とも称され、現在の社殿は寛文13年(1673年)に肥後藩主細川綱利の命によって造営されたものである[3]。祭神の速瓶玉命は、父の健磐龍命とともに阿蘇を開拓した神といわれる[3]。「国造本紀」によれば、崇神天皇(第10代天皇)の時代に速瓶玉命は初代阿蘇国造に任命されたといい、国造神社の名は祭神のこの地位に由来する[3][6]。
境内は広く、スギやヒノキなどの巨木が数多く見られる[2]。境内広場の東の隅に、1本の直幹が屹立してそびえ立った状態でひときわ目立つ巨大なスギがあった[1]。このスギが手野のスギで、1981年(昭和56年)刊行の『天然記念物事典』によると、高さは約47メートル、根元の周囲約14.40メートル、目通り幹囲[注釈 3]約11メートルを測り、幹の南側約13.60メートルの高さのところにサクラの木が1本着生していた[1]。
このスギは祭神の速瓶玉命手植えとの伝承があり、推定の樹齢は1000年とも2000年ともいわれていた[2][4]。かつて国造神社の境内には、陰陽2株のスギとも男スギ女スギとも呼ばれる2本のスギが生育していて「手野の神杉」と呼ばれていた[1][2][7]。そのうち男スギは、文政年間(1818年-1830年)に落雷による火災に遭ったために伐採された[1][2][3][7]。男スギの旧株の痕跡は、残された女スギ(手野のスギ)から北方に約25メートル離れたところにあった[1]。このあたりに新しいスギの1株があり、これは男スギの焼けた旧株から出たひこばえとも、新たに植えられたものとも伝えられる[1][2]。旧株近くには、天保2年(1831年)に建てられた「植杉碑」が存在している[1][2]。
手野のスギは熊本県内でも最大級の巨木で樹勢は盛んであり、1924年(大正13年)12月9日に史蹟名勝天然紀念物保存法(当時)に基づいて国の天然記念物に指定された[1][2][8]。しかし、1991年(平成3年)9月27日、台風19号(りんご台風)の襲来によって国造神社の境内に生育する木々は甚大な被害を受けた[3][4]。手野のスギは、地上から11メートルの位置で主幹が折れてしまった[注釈 1][注釈 4][3][4][5][7]。折損後の手野のスギについては、腐朽防止や土壌改良などの措置を講じてきたが樹勢回復に至らず枯死が確認されたことから、2000年(平成12年)に文化財保護審議会は天然記念物の指定解除を答申し[4][5]、同年9月6日付で指定解除された[9]。
地元の人々は「手野の大スギ保存事業期成会」を立ち上げ、残された地上2.5メートルから7メートルの部分を切断して2002年(平成14年)に上屋をかけ、かつての面影をとどめた姿で保存している[4][7][10]。手野のスギについては、独立行政法人森林総合研究所材木育種センター九州育種場が小枝を接ぎ木したクローン苗木を3本育成していた[11][12]。そのうち1本が、枯死した原木のかたわらに1993年(平成5年)3月に植栽されて里帰りを果たしている[3][11][12]。
交通アクセス
[編集]- 所在地
- 熊本県阿蘇市一の宮町手野2110 国造神社境内
- 交通
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ a b 国の天然記念物に指定されていたスギでは、静岡県島田市の「智満寺の十本スギ」(10本のうち子持スギ、開山スギ、頼朝スギが枯死または倒壊)、富山県高岡市の「北般若の毘沙門スギ」(1974年の台風で倒壊)、兵庫県養父市の「妙見の大スギ」(1991年に手野のスギと同じく台風19号により倒壊)などが失われている。
- ^ 阿蘇地方では、外輪山がカルデラ内に向かって特に突き出た部分を、「鼻」と呼んでいる。“阿蘇の七鼻八石”. 阿蘇市. 2020年6月18日閲覧。
- ^ 人間の目の高さ付近で測った樹木の幹まわりの寸法を指す。
- ^ 台風19号による国造神社の木々の被害では、手野のスギの他に樹齢800年といわれていた国造神社で2番目の大スギ(水神木)も倒壊している。水神木の切り株は、国造神社入口の左の建屋の中に保存されている。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 『天然記念物事典』、116頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l 『日本の天然記念物』、151頁。
- ^ a b c d e f g h i j k 国造神社(こくぞうじんじゃ)阿蘇市 Archived 2013年12月16日, at the Wayback Machine. 熊本県庁ウェブサイト、2013年6月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 国造神社(熊本県阿蘇市) よかとこBY 写真満載九州観光、2013年6月10日閲覧。
- ^ a b c 史跡・名勝・天然記念物<平成12年5月> 文化庁ウェブサイト、2013年6月10日閲覧。
- ^ 日本歴史地名大系44『熊本県の地名』平凡社、1985年、310頁。
- ^ a b c d 手野の大杉 木材の達人 住まいづくりの情報サイトe-house、2013年6月10日閲覧。
- ^ 大正13年内務省告示第777号
- ^ 平成12年文部省告示第150号
- ^ 手野の大杉(国造神社) (PDF) 広報あそ 2011.6、2013年6月10日閲覧。
- ^ a b 写真集 <クローン増殖サービスの事例> 独立行政法人森林総合研究所材木育種センターウェブサイト、2013年6月10日閲覧。
- ^ a b 天然記念物等の里帰りの状況について (PDF) 林木遺伝資源情報 第5号-1 2004.1、独立行政法人森林総合研究所林木育種センターウェブサイト、2013年6月10日閲覧。
参考文献
[編集]- 沼田眞編集 『日本の天然記念物5 植物III』講談社、1984年。ISBN 4-06-180585-1
- 文化庁文化財保護部監修『天然記念物事典』 第一法規出版、1981年。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- サテライト46 国造神社【古城地区/手野】 道の駅阿蘇ウェブサイト、2013年6月10日閲覧。
- 国造神社 九州産交グループウェブサイト、2013年5月26日閲覧。
- 手野のすぎ - ウェイバックマシン(2012年10月5日アーカイブ分) 巨樹名木探訪 中川木材産業株式会社ウェブサイト、2013年6月10日閲覧。
座標: 北緯32度59分22.7秒 東経131度7分27.5秒 / 北緯32.989639度 東経131.124306度