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折平町

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日本 > 愛知県 > 豊田市 > 折平町
折平町
折平町の位置
折平町の位置
折平町の位置(愛知県内)
折平町
折平町
折平町の位置
北緯35度12分54.0秒 東経137度11分44.7秒 / 北緯35.215000度 東経137.195750度 / 35.215000; 137.195750
日本の旗 日本
都道府県 愛知県
市町村 豊田市
地区 藤岡地区
町名制定 2005年平成17年)4月1日
面積
 • 合計 3.352 km2
人口
2019年(令和元年)7月1日現在)[1]
 • 合計 732人
 • 密度 220人/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
470-0464[2]
市外局番 0565(豊田MA[3]
ナンバープレート 豊田

折平町(おりだいらちょう)は、愛知県豊田市町名

概要

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豊田市の北西部に位置し、藤岡地区(旧西加茂郡藤岡町の町域にほぼ相当する)に属する。 町域西部で尾張国(現瀬戸市)と接し、戸越峠(とごしとうげ)を擁する外越道が往時より瀬戸との交通の要であった。現在では主要地方道である愛知県道33号瀬戸設楽線が戸越峠を越える。町域南東部では主要地方道に愛知県道350号北一色東広瀬線愛知県道353号大平折平線が接合し、人家及び町の中心部はこのあたりに広がっている。そのほか、町域北部、北西部、西部は広大な山林が広がり、北曽木町にほど近い瀬戸市との境界線上に折平山(628.3m)がそびえる。町域南部を飯野川支流である折平川が東進し、町域東部で屋敷川が、町域西部では西屋敷川が、それぞれ折平川に注いでいる。

明治中期に主要地方道が開通し、沿道に鉄工場やろうそく工場が立地した。また大正期から昭和初期にかけて、陶土の原料となる石粉の生産が盛んであったという[4]

歴史

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沿革

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  • 江戸期- 寛永期の『三河国村々高附』においては「加茂郡柳平村」、天保期の郷帳においては「加茂郡折平村」という表記が見受けられる[5]
  • 1635年(寛永12年)当時- 幕府領であった[6]
  • 1697年元禄10年)- 旗本沼間氏の知行地となる(1701年(元禄14年)まで)[6]
  • 1868年明治元年)- 三河吉田藩領となる[6]
    • なお文献によっては1705年宝永2年)頃に三河吉田藩領となったとする記述もある[4]
  • 1871年(明治4年)- 大区小区制施行により、第4大区第3小区に所属する[5]
  • 1878年(明治11年)- 郡区町村編制法施行により、加茂郡が西加茂郡と東加茂郡に分割される。これに伴い、折平村の所属が加茂郡から西加茂郡に変更される[4]
  • 1884年(明治17年)7月- 戸長役場設置に伴い、折平村、石畳村(いしだたみむら)、大岩村(おおいわむら)、上渡合村(かみどあいむら)、木瀬村(きせむら)、三箇村(さんがむら)、白川村(しらかわむら)、西市野々村(にしいちののむら)、北曽木村(ほくそぎむら)の9村が同組に組み込まれる[7]
  • 1889年(明治22年)10月1日- 市制・町村制施行に伴い、折平村、石畳村、大岩村、上渡合村、木瀬村、三箇村、白川村、西市野々村、北曽木村の9村が合併して西加茂郡高岡村が誕生し[8]、折平村は高岡村大字折平に継承される[4]
  • 1906年(明治39年)4月1日- 高岡村、富貴下村の内3大字、藤河村が合併して藤岡村が誕生し[9]、高岡村大字折平は藤岡村大字折平に継承される[4]
  • 1978年昭和53年)4月1日- 藤岡村の町制施行に伴い[9]、住所表示が藤岡町大字折平に変更される[4]
  • 2005年平成17年)4月1日- 藤岡町の豊田市への編入に伴い、住所表示が豊田市折平町に変更される。

その他

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  • 藤岡町誌によれば、村の始まりは、元和期に大坂夏の陣において豊臣方につき敗走した田中弥兵衛が、従者と共に大釜の薮沢に隠れ住んだことがきっかけだという[4]

世帯数と人口

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2019年(令和元年)7月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

町丁 世帯数 人口
折平町 269世帯 732人

人口の変遷

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国勢調査による人口の推移

2005年(平成17年) 714人 [10]
2010年(平成22年) 717人 [11]
2015年(平成27年) 691人 [12]

学区

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市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[13]

字・番地等 小学校 中学校
堂林536番地6・9・13・15〜20 豊田市立飯野小学校 豊田市立藤岡中学校
その他 豊田市立石畳小学校

寺社

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八柱神社
元亀年間の勧進と伝わる。「三州加茂郡高橋庄」と記された1686年(貞享3年)の棟札が伝わっている。はじめ八王子社と言われていたが、明治に入り八柱神社と改称したという[6]
曹洞宗永平寺末向陽寺
山号は恵日山。本尊は聖観世音菩薩。永禄年間以前に開基したとされ、1731年享保16年)に開山。境内には竜尾木と呼ばれる古木が残る。また母乳地蔵と呼ばれる地蔵尊(1810年文化7年)の銘)があり、乳児の健やかな成長を祈り、布で形作った乳房を奉納する[6]

文化財

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指定文化財

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天然記念物

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  • 折平のコウヨウサン[14]
豊田市指定文化財。1974年(昭和49年)2月10日指定。向陽寺が管理。

名木

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豊田市指定名木。樹高15.0m、樹齢200年以上。所在地は折平町姓敷。

その他の文化財

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散布地

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  • 内屋敷遺跡- 縄文時代[6]
  • 落田上・落田下遺跡- 縄文時代[6]
  • 中屋敷遺跡- 中世[16]

城館跡

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  • 折平城跡- 中世[16]
所在地は折平町内屋敷。東西41m、南北10.5m。本丸、二の丸、空堀などの遺構が残る[6]

その他墓

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  • 六部塚
西加茂郡誌によれば、直径3mほどの円墳が残っている[6]

その他

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日本郵便

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脚注

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  1. ^ a b c 豊田市の人口 2019年7月1日現在人口 詳細データ - 町別面積・人口・世帯数”. 豊田市 (2019年7月11日). 2019年7月15日閲覧。
  2. ^ a b 折平町の郵便番号”. 日本郵便. 2019年7月15日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g 『角川日本地名大辞典 23 愛知県』:344-345ページ
  5. ^ a b 『日本歴史地名体系』23:1165ページ
  6. ^ a b c d e f g h i 『日本歴史地名体系』23:845ページ
  7. ^ 『豊田加茂の地名』:8ページ、ただし参照元の表記は『北木村』である。
  8. ^ 『角川日本地名大辞典 23 愛知県』:768ページ
  9. ^ a b 『豊田加茂7市町村の合併の記録』:20ページ
  10. ^ 平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年3月23日閲覧。
  11. ^ 平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年3月23日閲覧。
  12. ^ 平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年3月23日閲覧。
  13. ^ 2019年度豊田市立小中学校区一覧表” (PDF). 豊田市 (2019年6月26日). 2019年7月15日閲覧。
  14. ^ 指定・登録文化財一覧[リンク切れ](豊田市ウェブサイト、2012年1月29日閲覧)
  15. ^ 豊田の名木(豊田市ウェブサイト、2012年1月29日閲覧)
  16. ^ a b 埋蔵文化財一覧 Archived 2013年7月13日, at the Wayback Machine.(豊田市ウェブサイト、2012年1月23日閲覧)
  17. ^ 郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. 2019年6月10日閲覧。

参考文献

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  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5 
  • 有限会社平凡社地方資料センター 編『日本歴史地名体系第23巻 愛知県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4-582-49023-9 
  • 『豊田加茂7市町村の合併の記録』、豊田市、2005年。
  • 深津重貞 「豊田加茂の地名」、1991年。