コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

二荒拡子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
拡子女王から転送)
拡子女王
北白川宮家、二荒家
1915年撮影
続柄 北白川宮能久親王の第三王女

身位 女王降嫁
敬称 殿下 → 降嫁
出生 (1895-05-28) 1895年5月28日
日本の旗 日本
死去 (1990-03-07) 1990年3月7日(94歳没)
日本の旗 日本
配偶者 二荒芳徳伯爵
子女 一覧参照
父親 北白川宮能久親王
母親 浮山幾牟
テンプレートを表示

二荒 拡子(ふたら ひろこ、旧字体二荒󠄁 擴子1895年明治28年)5月28日[1] - 1990年平成2年)3月7日[2])は、日本の元皇族、二荒芳徳伯爵夫人。皇族時代の名と身位は拡子女王

生涯

[編集]

北白川宮能久親王と側室の浮山幾牟の娘として生まれる。1895年明治28年)10月28日、父能久親王と死別。

1915年大正4年)7月16日二荒芳徳伯爵(父:伊達宗徳侯爵)との結婚の勅許が下り[3]、7月18日付で、勲二等宝冠章を受章[4]。翌7月19日、宮中三殿に拝礼し、朝見の儀を執り行った[5]7月20日二荒芳徳伯爵に降嫁[6]

なお、二荒伯爵家は、拡子女王の異母兄二荒芳之(早世)が興した家である。

結婚後は、婦人誌である『主婦の友』や『婦女界』の取材に応じている。

血縁

[編集]
1934年(昭和9年)頃撮影、二荒伯爵一家

栄典

[編集]

1915年(大正4年)7月18日 - 勲二等宝冠章[4]

脚注

[編集]

注釈

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ 『纂輯御系圖』(松成堂、1903年)、p.202(NDLJP:1085748/121
  2. ^ 平成新修旧華族家系大成 下巻』(霞会館、1996年)p.458
  3. ^ 『官報』第888号「宮廷録事」、大正4年7月17日(NDLJP:2952995/3
  4. ^ a b 『官報』第889号「叙任及辞令」、大正4年7月19日(NDLJP:2952996/7
  5. ^ 『官報』第889号「宮廷録事」、大正4年7月19日(NDLJP:2952996/8
  6. ^ 大正4年宮内省告示第14号(『官報』第891号、大正4年7月21日)(NDLJP:2952998/7
  7. ^ a b c d 『人事興信録』第8版(1928年7月)、「二荒芳徳」の項