新山えつや・ひでや
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(新山ひでや・えつやから転送)
メンバー |
新山えつや 新山ひでや |
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結成年 | 1971年 |
解散年 | 1992年(事実上) |
活動時期 | 1971年 - 1992年 |
師匠 | 新山悦朗・春木艶子 |
旧コンビ名 | 新山えつや・東ひでや(1971年 - 1974年) |
現在の活動状況 | 事実上解散 |
芸種 | 漫才 |
受賞歴 | |
第22回NHK新人漫才コンクール優勝(1974年) |
新山えつや・ひでや(にいやまえつや ひでや)は、日本の漫才コンビ。新山悦朗・春木艶子門下。
概要
[編集]1971年(昭和46年)結成。当時のコンビ名は「新山えつや・東ひでや」。1974年の第22回NHK新人漫才コンクールに初出場で優勝。優勝を機に屋号を新山に統一。
1992年(平成4年)[矛盾 ]、えつやが脳血栓に倒れ、リハビリで姉のいる札幌で療養するため、活動休止となった。その後1994年に、ひでやは妻である新山やすこと新山ひでや・やすこを結成している。
2018年(平成30年)、読売テレビ「モッタイナカッタ?観察バラエティ 逃した魚」で、ひでやがナイツ・塙宣之と共に、再会を願う「逃がした魚」として当時北海道の介護施設にいたえつやを探し出し、再会している[1]。
メンバー
[編集]- ボケ担当。北海道芦別市出身。本名:
栢盛 秋好。 - 1965年新山悦郎・春木艶子に入門。以前は「新山セイノー・サイノー」のサイノーとして活動。当時の相方はローカル岡。2003年頃まで落語芸術協会のホームページにプロフィールが残っていた。訃報は、二人の経歴を追い続けていた漫才研究家の神保喜利彦のところに2023年2月に親族から連絡が入って明らかになった[3]。
脚注
[編集]- ^ “「モッタイナカッタ?」観察バラエティ 逃がした魚”. web THEテレビジョン. KADOKAWA. 2023年2月3日閲覧。
- ^ http://www.web.archive.org/web/20030624134051fw_/http://www.geikyo.com/kaiin/profile/103.html
- ^ “新山ひでや・えつや”. 東京漫才のすべて. 神保喜利彦 (2023年2月19日). 2023年2月20日閲覧。
- ^ 【訃報】 新山ひでや - 落語芸術協会 2019年8月26日