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金剛院 (摂津市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
昧舌寺から転送)
金剛院
所在地 大阪府摂津市千里丘3丁目10-5
位置 北緯34度47分12.5秒 東経135度32分47.6秒 / 北緯34.786806度 東経135.546556度 / 34.786806; 135.546556座標: 北緯34度47分12.5秒 東経135度32分47.6秒 / 北緯34.786806度 東経135.546556度 / 34.786806; 135.546556
山号 霊蜂山
宗派 高野山真言宗
本尊 薬師如来
正式名 霊蜂山 峰前寺 金剛院
蜂熊山 峰前寺 金剛院
別称 昧舌寺
味舌寺
蜂前寺
札所等 摂津国八十八箇所霊場 第45番札所
法人番号 9120905001667 ウィキデータを編集
金剛院の位置(大阪府内)
金剛院
金剛院
金剛院 (大阪府)
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金剛院(こんごういん)は、大阪府摂津市千里丘にある高野山真言宗の仏教寺院味舌寺(ましたでら)、蜂前寺(ぶぜんじ)とも呼ばれた。

歴史

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摂津名所図会』に、天平勝宝年中(749年 - 757年)、行基が紫雲霊光を目指してこの地に至ると、老翁から精舎を建てなさいと示され、行基自ら薬師如来を彫刻し、放光山昧舌寺と号した。ある年、賊徒の蜂起に村民が防げないでいると、殿内より数千の蜂が出現して退治してくれた。これにより霊蜂山蜂前寺と改めた、とある。

寺伝では永正年間(1504年 - 1521年)に三宅城城主三宅出羽守国政の外護を得たが、天正年間(1573年 - 1592年)の兵火で堂宇がことごとく焼失した。寛文3年(1633年)に宥清が再興、元文年間(1736年 - 1741年)に領主(大和芝村藩主)織田輔宜祈願寺となり往古の面影を取戻したという。

『摂津志』には、上梁文に天正15年(1587年)10月3日再建と記す。

境内

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蜂塚
  • 本堂
  • 鐘楼
  • 護摩堂
  • 弁天堂
  • 吒枳尼天堂
  • 蜂塚

文化財

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交通アクセス

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参考文献

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  • 天坊幸彦『三島郡の史蹟と名勝』(1961)大阪府学務部編『大阪府史蹟名勝天然記念物』 三島郡(1974)に収録 全国書誌番号:73009804
  • 日本歴史地名大系28-1 大阪府の地名1(1986)平凡社全国書誌番号:86016681

関連項目

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