コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

永地秀太

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
有吉秀太から転送)
永地秀太

永地 秀太(ながとち ひでた[1]、旧姓:有吉秀太、1873年明治6年)7月15日 - 1942年昭和17年)12月14日)は、明治-昭和前期の洋画家[1]太平洋画会 創立メンバー[2]陸軍嘱託画家[3]文展(旧帝展)審査員[2]、旧東京高等工芸学校(現・千葉大学工学部)教授。1923年、レジオンドヌール勲章受章。

経歴

[編集]

代表作品

[編集]

寄稿

[編集]
  • 会頭としての黒田先生 国民美術1-9 大正13年9月 

商業広告デザイン

[編集]
  • 三越デパート包装紙 出典 [図録 もうひとつの明治美術]
  • 麒麟麦酒ラベル 出典 [図録 もうひとつの明治美術]

関連

[編集]
  • 黒田清輝日記 [1][2]
  • 『装丁探索』『修養全集』第2巻(「東西感動美談集』、大日本雄弁会講談社、昭和3年)掲載 岸井新「喪服の遺臣」の挿繪 落款 三種 [3]
  • 下関講和談判 [4]
  • 『図録 もうひとつの明治美術』[5]
  • 記事番号:00341
    • 年月:1938年05月
    • 前記上海軍嘱託として従軍した作家等の外、川端竜子、鶴田吾郎は五月末北支より蒙疆へ、中沢弘光、伊原宇三郎は天津北京を経て山西方面に栗原信は徐州方面に、又八月、九月には石川寅治、石井柏亭、永地秀太、和田香苗、早川三四郎が前後して北支方面に、いづれも陸軍嘱託として従軍することになつた。
  • 『日本美術年鑑』昭和18年
  • 美術界年史(彙報)
    • 1936年07月 海軍館陳列画執筆者決定 
    • 1938年05月 陸軍嘱託画家
    • 1938年12月 昭和十三年中陸軍嘱託画家

脚注

[編集]
  1. ^ a b 永地秀太”. コトバンク. 2017年2月18日閲覧。
  2. ^ a b c 東京文化財研究所 (東文研)アーカイブデータベース
  3. ^ a b 東文研アーカイブデータベース 記事番号:00418 年月:1938年12月
  4. ^ 海軍館陳列画執筆 東文研アーカイブデータベース 記事番号:00111年 1936年7月
  5. ^ a b c 小堀桂一郎監修 所功編著 『名画にみる 國史の歩み』 近代出版社、2000年4月19日、pp.70,81,86、ISBN 978-4-907816-00-1
  6. ^ 松下村塾と吉田松陰 2
  7. ^ 兼富忠一『中山神社誌』主要宝物及貴重品リスト記載、1943年発行

出典

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]