朝鮮労働党第6期中央委員会
朝鮮労働党第6期中央委員会(ちょうせんろうどうとうだい6きちゅうおういいんかい、朝鮮語:조선로동당 제6차중앙위원회)は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の執権政党・朝鮮労働党が1980年の第6回党大会で選出した中央委員会である。
委員構成
[編集]1980年から2010年までの委員構成
[編集]※太文は2010年に開催される第3回党代表者会まで在任だった者。
政治局
[編集]- 政治局常務委員会委員:金日成[1]、金一[2]、呉振宇[3]、金正日、李鐘玉[4]
- 委員:金日成[1]、金一[2]、呉振宇[3]、金正日、李鐘玉[4]、朴成哲[5]、崔賢[6]、林春秋[7]、徐哲[8]、呉白龍[9]、金仲麟[10]、金永南、全文燮[11]、金煥[12][13]、延亨黙[14]、呉克烈、桂応泰[15]、姜成山[16][13]、白鶴林[17]、崔永林[18]、徐允錫[19]、許錟[20]、李根模[21]、洪成南[22]、全炳浩[23]、崔光[24]、韓成龍[25]、金英柱[26]
- 委員候補:許錟[20]、尹基福[27]、崔光[24]、趙世雄、崔載羽、孔鎮泰[28]、鄭浚基、金鉄万[29]、鄭京姫、崔永林[18]、徐允錫[19]、李根模[21]、玄武光、金江煥、李善実[30]、全炳浩[23]、金斗南[31]、安承鶴[32]、洪成竜[33]、金福、洪時学[34]、洪成南[22]、桂應泰[15]、韓成龍[25]、崔泰福[35]、金達玄[36]、金容淳[37]、楊亨燮[38]、洪錫亨[38]
書記局
[編集]- 総書記:金日成、金正日[39]
- 書記:金正日[39]、金仲麟[28]、金永南、金煥[40]、延亨黙[41]、尹基福[42]、洪時学、黄長燁[43]、朴寿洞、徐寛熙[44]、安承鶴[45]、蔡喜正[46]、朴南基[47]、李根模[48]、金煥[48]、桂応泰[49]、姜成山[50]、全炳浩[51]、崔泰福[51]、韓成龍[52]、許錟[53]、金容淳[54]、金国泰[55]、金己男[55]
軍事委員会
[編集]検閲委員会
[編集]中央検査委員会
[編集]中央委員
[編集]金正日、金英柱、金永南、全炳浩、韓成龍[58]、金鉄万、崔泰福、崔永林、楊亨燮、洪錫亨、金己男、金国泰、金仲麟[10]、金煥、金福信、朴南基、元東九、李夏一、呉克烈、金敬姫、蔡喜正、全夏哲、李用茂、李哲奉[59]、黄順姫、金基龍、朴承一[60]、金学峰[60]、崔文善[60]、林亨九[60]、李根模、玄哲奎[60]、李吉松、李乙雪、金正覚、金明国、金格植、全河哲、朱相成、金永春、趙明禄、金一哲[56]、金竜雲、姜東潤、朴基瑞[61]、韓仁述[60]、玄哲海、金炳律、朱誠一、金聖愛[60]、廉基淳[60]、李庸澈、張成沢、金時学、姜寛周、洪成竜[60]、兪貞淑[60]、全熙正、姜錫柱、孫成弼[60]、朱昌駿[60]、車用振、朱奎昌、廉泰俊[60]、辺昌福、洪時学[60]、鄭哲、許克誠[60]、金河奎、金潤赫
中央委員候補
[編集]李成大[60]、金元鎮[60]、金利竜[60]、郭範基、朴元鉉[60]、金学燮[60]、金成求[60]、呉成烈[60]、崔基龍、李載允、尹基貞[62]、金秀学、朴明哲、蔡圭彬、鄭成澤、金貞淑、鄭昌烈、金大植、全載善、呂春錫、金成奎[63]、鄭鎬均、呂炳南[60]、朱勝南[60]、元明均[60]、白相浩、金福汶[60]、李泰哲[60]、朴在慶、金重協、洪仁範、金哲明[60]、朴鳳洙、高楨植、李良淑、張国賛[60]、崔相列、白世潤、玉峰璘、鄭松南、李英均[60]、金洛姫、趙昌徳、許淳[60]、黄石奎[60]、朴守範[60]、金亨黙[60]、朴英贊、金周鎬[60]、崔明哲[60]、李允洽[60]、林奉竜、金潤宇[60]、金炳八、朴英植、許敏善[60]、崔炳浩、韓奎八[60]、崔賢基、李賢浩[60]、白恩淳[60]、李学燮[60]、金光洙、李大爽、李東成[60]、金應三[60]、郭英鎬[60]
2010年から2016年の委員構成
[編集]2010年9月に開催された第3回党代表者会で124人の中央委員と105人中央委員候補が選出された。
最高指導者
[編集]政治局
[編集]- 委員:金正恩[66]、
金正日[65]、金永南、崔永林、趙明禄[67]、李英浩[68]、金永春、全炳浩、金国泰[70]、金己男、崔泰福、楊亨燮、姜錫柱、辺永立、李用茂、朱霜成[71]、洪錫亨[72]、金敬姫、金正覚[73]、張成沢[74]、朴道春[75]、玄哲海[76]、金元弘[77]、李明秀[78]、朴奉珠。
- 委員候補:金養建、金永日、
朴道春[75]、崔竜海[69]、張成沢[74]、朱奎昌、李泰男、金洛姫、太宗秀、金平海、禹東測、金正覚[73]、朴正淳[79]、金昌燮、文京徳、郭範基[80]、呉克烈[80]、盧斗哲[80]、李炳三[80]、趙延俊[80]、玄永哲、金格植、崔富日、李永吉。
書記局
[編集]中央軍事委員会
[編集]- 委員長:金正恩[66]、
金正日[65] - 副委員長:
金正恩[66]、李英浩[68]、崔竜海[82]、玄永哲 - 委員:金永春、金正覚、金明国、金慶玉、金元弘、鄭明道、李炳哲、崔富日、金英哲、尹正麟、朱奎昌、崔相麗、崔慶星、禹東測、
崔竜海[82]、張成沢[74]、玄哲海[76]、李明洙[78]、金洛兼[83]
労働新聞
[編集]- 責任主筆:尹禹哲
中央検閲委員会
[編集]中央検査委員会
[編集]中央委員会部長
[編集]金己男、張成沢[74]、金永日、金平海、李英洙、朱奎昌、洪錫亨[72]、金敬姫、崔熙正、呉日晶、金養建、金正林、蔡喜正、太宗秀、金永春[84]、郭範基[84]、朴奉珠[84]
中央委員(124人)
[編集]金正日[65]、姜能洙、姜東潤、姜錫柱、姜杓永、姜陽貌、高炳賢、金国泰[70]、金敬姫、金慶玉、金己男、金基龍、金洛姫、金明国、金炳律[85]、金炳浩、金城徳、金松哲、金正覚、金貞淑、金正恩、金正任、金昌燮、金鉄万、金春三、金泰豊、金平海、金炯龍、金亨植、金熙澤、金養建、金永南、金永春、金永日、金英哲、金勇鎮、金仁植、金元鴻、郭範基、梁万吉、呂春錫、盧斗哲、盧培権、柳英燮、李竜男、李万建、李明洙、李武栄、李炳三、李炳哲、李鳳徳、李鳳竹、李泰男、李兄根、李希賢、李永吉、李英洙、李英浩[68]、李用茂、李勇煥、李勇哲[86]、李乙雪、林景万、文京徳、朴光哲、朴道春、朴明哲、朴壽吉、朴勝元、朴正淳[79]、朴重根、朴載慶、朴泰徳、朴宜春、辺永立、辺仁善、白世鳳、成自立、張炳奎、張成沢[74]、張徹、全吉寿、全竜国、全炳浩、全河哲、全昌復、全夏哲、全熙正、鄭明道、鄭浩鈞、鄭仁国、趙敬哲、趙明禄[67]、趙炳柱、朱奎昌、朱霜成、朱永植、車承秀、蔡喜正、崔慶星、崔竜海、崔富日、崔相黎、崔泰福、崔熙正、崔永徳、崔永林、太宗秀、韓光福、韓東根、玄哲海、玄英哲、洪錫亨[65]、洪仁範、安正秀、楊東勲、楊亨燮、呉克烈、呉琴鉄、呉秀容、呉日晶、禹東測、尹東鉉、尹正麟
中央委員候補(106人)
[編集]康基燮、康寛周、姜冠日、姜民哲、姜恒豊、高秀日、金格植、金桂冠、金東恩、金東日、金東里、金東一、金明植、金炳勲、金昌明、金天浩、金忠杰、金太文、金希英、金英淑、金英才、金永浩、金勇冠、金佑鎬、金成男、権学峰、魯広哲、董正浩、廉仁潤、盧慶駿、盧成実、柳慶、李国駿、李基洙、李明吉、李民哲、李相根、李相権、李寿勇、李鍾植、李在一、李済善、李川花、李昌漢、李哲、李春日、李泰燮、李泰哲、李洪燮、李希首、李勇柱、李容浩、李日南、朴奉珠、朴昌範、朴李順、白桂龍、白龍天、徐東明、孫蒼南、孫光哲、申勝勲、張明学、張浩賛、張永吉、全景善、全広禄、全成雄、全昌林、鄭明学、鄭夢弼、鄭鳳根、鄭允学、趙成煥、趙載英、趙永哲、池在竜、車鏡日、車鎮淳、車勇明、崔基龍、崔寛俊、崔鳳浩、崔燦乾、崔春植、崔賢、崔永道、崔勇、太炯哲、韓昌南、韓昌順、韓興杓、許成吉、玄成洙、洪光淳、洪瑞憲、洪松武、黄炳瑞、黄順姫、黄鶴元、安東春、楊仁国、呉鉄山
全体会議
[編集]第一次全体会議
[編集]開催日時:1980年10月14日
選出:
- 党中央委員会政治局
- 党中央委員会書記局
脚注
[編集]- ^ a b 1994年7月8日死去。
- ^ a b 1984年3月9日死去。
- ^ a b 1995年2月25日死去。
- ^ a b 1999年9月23日死去。
- ^ 2008年10月28日死去。
- ^ 1982年4月9日死去。
- ^ 1988年4月27日死去。
- ^ 1992年9月30日死去。
- ^ 1984年4月6日死去。
- ^ a b 2010年4月28日死去。
- ^ 1988年12月29日死去。
- ^ 1998年解任。
- ^ a b “共和国権力上層部推定序列変動一覧表(1994~1998)”. Data Bank Room of Korea. 2013年4月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年10月3日閲覧。
- ^ 2005年10月22日死去。
- ^ a b 1987年政治局委員選出,2006年11月23日死去。
- ^ 1998年に引退。
- ^ 2006年10月5日死去。
- ^ a b 1982年政治局委員に選出されるが、1度解任され1990年に政治局委員候補に選出された。
- ^ a b 1998年辞任。
- ^ a b 1983年被增選政治局委員選出、1991年5月11日死去。
- ^ a b 1986年政治局委員に選出、1988年病気の為辞任。
- ^ a b 1986年政治局委員選出、1989年政治局委員候補に降格,2009年3月31日死去。
- ^ a b 1982年政治局委員候補に選出、1988年政治局委員に選出。
- ^ a b 1990年政治局委員に選出され、1997年2月21日死去。
- ^ a b 1988年政治局委員に選出、死亡したものと推測される。
- ^ 1993年政治局委員に選出。
- ^ 2003年5月8日死去。
- ^ a b 1986年解任。
- ^ 1990年政治局委員に選出。
- ^ 2000年8月に死去。
- ^ 2009年3月死去。
- ^ 1983年被政治局委員候補に選出、1986年解任。
- ^ 1983年政治局委員候補に選出、1986年解任。
- ^ 1986年政治局委員候補に選出。
- ^ 1990年政治局委員候補に選出。
- ^ 1992年政治局委員候補に選出、2000年12月自殺。
- ^ 1992年政治局委員候補に選出、2003年10月26日死去。
- ^ a b 1993年政治局委員候補に選出。
- ^ a b 1997年10月8日に就任。
- ^ 1983年に政務院副総理に就任したため解任、1986年に再任。
- ^ 1988年に政務院総理に就任したため解任。
- ^ 平壌市人民委員会委員長として解任、1990年再任、2003年5月8日死去。
- ^ 1997年脱北。
- ^ 1982年書記局書記選出、1997年9月銃殺された。
- ^ 1983年書記局書記選出、1986年解任。
- ^ 1983年書記局書記選出。
- ^ 1984年書記局書記選1986年解任、1988年再任、2010年3月12日銃殺された。
- ^ a b 1986年書記局書記選出、同年解任。
- ^ 1986年書記局書記選出、2006年11月23日死去。
- ^ 1986年書記局書記選出、1987年解任。
- ^ a b 1986年書記局書記選出。
- ^ 1988年書記局書記選出、死亡したものと推測される。
- ^ 1990年解任。
- ^ 1990年書記局書記選出、1991年5月11日死去。
- ^ a b 1992年書記局書記選出。
- ^ a b 2010年5月解任。
- ^ 2010年4月27日死去。
- ^ 死亡したものと推測される。
- ^ 2009年12月25日死去。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at 十年間活動がない。
- ^ 2010年1月4日死去。
- ^ 2010年8月13日死去。
- ^ 2010年8月24日死去。
- ^ 2011年12月17日に死去。
- ^ a b c d e f g 2012年4月11日に永遠の総書記に推挙された。
- ^ a b c d e f 2010年9月中央軍事委員会副委員長選出、2012年4月朝鮮労働党第一書記に推挙、中央政治局委員、常任委員会委員、中央軍事委員会委員長。
- ^ a b c 2010年11月6日死去。
- ^ a b c d 2012年7月16日朝鮮労働党中央政治局により中央政治局常務委員、政治局委員、党中央軍事委員会副委員長から解任。
- ^ a b 2010年9月政治局委員候補選出、2012年4月常任委員会委員選出。
- ^ a b c 労働新聞:2013年12月13日死去。
- ^ 朝鲜中央通信社2011年3月16日報道、国防委員会人民保安部部長を解任された。
- ^ a b c 粛清された可能性がある。
- ^ a b 2010年9月政治局委員候補選出、2012年4月政治局委員選出。
- ^ a b c d e 2010年9月政治局委員候補選出、2012年4月政治局委員選出。
- ^ a b 2010年9月政治局委員候補選出、2012年4月政治局委員選出。
- ^ a b 2012年4月政治局委員、中央軍事委員会委員選出。
- ^ 2012年4月政治局委員選出。
- ^ a b 2012年4月政治局委員、中央軍事委員会委員選出。
- ^ a b 2011年1月22日死去。
- ^ a b c d e 2012年4月政治局委員候補選出。
- ^ a b 2012年4月書記選出。
- ^ a b 2010年9月委員選出、2012年4月副委員長。
- ^ 2012年4月委員選出。
- ^ a b c 2012年4月部長に就任。
- ^ 2013年11月4日死去。
- ^ 2010年4月26日死去。