鉄の肺
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鉄の肺(てつのはい、英: Iron Lung)は、人工呼吸器の一種である。
概要
[編集]患者の首から下を気密タンクに入れ、タンク内を間歇的に陰圧にする。タンク内を陰圧(-7 〜 -15 水柱センチメートル)にすると、患者の胸郭が広げられて吸気がおこる。平圧に戻すと胸郭の弾性によって肺がしぼんで呼気がおこる。これを繰り返す。
1928年、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストンのハーバード大学公衆衛生スクール(Harvard School of Public Health)のフィリップ・ドリンカー、ルイス・A・ショーらが、ポリオによる呼吸不全を治療するために実用化した。
1950年代までは広範に用いられていたが、装置が大がかりで高価なこと、頭部以外の全身をタンクが覆うために患者のケアが難しいこと、陽圧換気による人工呼吸器が普及したことなどもあり、現在ではあまり使われていない。診療報酬点数表には掲載されており、令和元年は1日につき260点算定できる[1]。
木の肺
[編集]アメリカで1930年から50年代にかけてポリオが流行した際、鉄の肺は非常に高価で、当時の金額で2千ドル以上もした。高価で要数が揃わなかったことから、各地のエンジニアや木工職人がボランティアで鉄の肺と同等の装置を製作した。これらはベニヤ板などの木材が多用されていたことから「木の肺(wooden lung)」と呼ばれた[2]。
最初の一号機は1937年8月26日にカナダのトロント小児病院にポリオに感染して入院していた4歳の子供の為にJoseph.H.W.Bower医師が自作した物だと言われている[3]。その後、セイント・ルカ病院の理事だったマックスウエル・ケネディ・レイノルズが主導して五大湖周辺の病院に配られた。
普及
[編集]ボス・レスピレーターは合板製で安価であったため広く使用された。エドワード・トーマス・ボスによってオーストラリアで量産が行われ、イギリスではナフィールド卿の援助を受けてモーリス自動車の工場で量産された。1950年初頭、イギリスではドリンカーのモデルはわずか50台しか存在しなかったのに対し、ボスのモデルは700台以上存在していた [4]。
代表的使用者
[編集]- ポール・アレクサンダー - 6歳の時にポリオに感染し、70年以上(1952‐2024)を鉄の肺につながれたまま生存した。2023年、ギネス記録に「鉄の肺を使った最長の生存患者」として認定された[5][6]。
脚注
[編集]- ^ J029鉄の肺 しろぼんねっと
- ^ A Home Made Iron Lung for the Hospital for Sick Children - Pandemic Ventilator Project
- ^ 1937年9月13日のTIME誌
- ^ Lawrence, Ghislaine (23 February 2002). “The Smith-Clarke Respirator”. The Lancet 359 (9307): 716. doi:10.1016/s0140-6736(02)07819-4. PMID 11879908.
- ^ “「鉄の肺」に70年超 ギネス記録の男性死去―米:時事ドットコム”. 時事ドットコム (2024年3月14日). 2024年3月16日閲覧。
- ^ “Meet longest surviving iron lung patient kept alive by a machine for 70 years” (英語). ギネス記録 (2024年3月14日). 2024年3月16日閲覧。
外部リンク
[編集]- 鉄の肺メモリアルコーナー - 浜松医科大学 麻酔・蘇生学講座
- "Iron Lung." - バージニア大学
- 日本呼吸器学会で「鉄の肺」を展示 (日本呼吸器学会、於東京フォーラム、2017年)
- The Iron Lung - イギリス、サイエンス・ミュージアム