本地 (瀬戸市)
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地理
[編集]瀬戸川と矢田川の合流点付近の沖積低地に位置する[1]。旧愛知郡本地村に由来する地域であり、現在の瀬戸市南部・南西部に位置する13町(原山町・新郷町・幡野町・井戸金町・坊金町・山の田町・駒前町・小坂町・坂上町・東本地町・西原町・高根町・西本地町)にあたる[1][注釈 1]。
河川
[編集]この項の参考資料[2]。
歴史
[編集]地名の由来
[編集]『尾張風土記』によると、誉治(ほむじ)村によるという[1]。
沿革
[編集]- 江戸時代には、尾張国愛知郡の尾張藩領水野代官所支配の本地村となる[注釈 2][1]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 市制・町村制施行の際、本地村と菱野村が合併して幡野村となり、幡野村大字本地となる[1]。
- 1906年(明治39年)5月10日 - 幡野村と山口村が合併して幡山村となり、幡山村大字本地となる[1][3]。
- 1955年(昭和30年)2月11日 - 幡山村が瀬戸市に編入され、瀬戸市大字本地となる[1][3]。
- 1963年(昭和38年)10月1日 - 瀬戸市大字本地字原山の一部が原山町・幡野町・新郷町となる[4]。
- 1970年(昭和45年)4月15日 - 瀬戸市大字本地字新田屋敷・前田・南浦の各一部と、字駒前・坊金・小坂・坂上・大湫・井戸金・山ノ田の各全域が、同市東本地町3丁目・駒前町・坊金町・坂上町・小坂町・井戸金町・山の田町となる[5]。
- 1971年(昭和46年)9月2日 - 瀬戸市大字本地字新田屋敷・前田・新田の各一部と、字鍋田の全域が、同市東本地町1・2丁目となる[注釈 3][6]。
- 1974年(昭和49年)11月2日 - 瀬戸市大字本地字原山・前田・南浦・新田の各一部と、字原下・天白・新屋敷・井堀・小川・西川原・中切の各全域が、同市西原町・高根町・西本地町となり[注釈 4]、同日をもって瀬戸市大字本地は消滅する[7][8]。
施設
[編集]寺社
[編集]教育
[編集]- 幡野尋常小学校 : 1892年(明治25年)7月開校[9]。前身は、1873年(明治6年)10月に旧・菱野村に開校した本地学校[10]で、1907年(明治40年)1月に幡山西部尋常小学校となる[11](現・瀬戸市立幡山西小学校)[注釈 5]。
鉄道
[編集]大字域に鉄道は走っていなかった。
その他
[編集]1882年(明治15年)本地村時代の字名は以下の通りであった[2]。
- 山ノ田(やまのた)・井戸金(いどがね)・大湫(をうくて)・坂上(さかうえ)・坊金(ぼうがね)・小川(こがは)・小坂(こざか)・西川原(にしかはら)・仲切(なかきり)・井堀(ヰほり)・原下(はらした)・原山(はらやま)・天白(てんぱく)・新屋敷(しんやしき)・新田(しんでん)・鍋田(なべた)・前田(まヱだ)・南浦(みなみうら)・新田屋敷(しんでんやしき)・駒前(こままえ)
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 1224.
- ^ a b “川名が語るふるさとの歴史 愛知の川名 庄内川水系 【瀬戸市・長久手市・尾張旭市・名古屋市守山区・春日井市】”. 愛知の川名 編集委員会. 2021年11月21日閲覧。
- ^ a b “市の沿革”. 瀬戸市 (2017年3月31日). 2021年11月22日閲覧。
- ^ 瀬戸市 市民課 1971.
- ^ 瀬戸市 1970.
- ^ 瀬戸市 1971.
- ^ 瀬戸市 1974a.
- ^ 瀬戸市 1974b.
- ^ 愛知郡 1923, pp. 284, 289.
- ^ 愛知郡 1923, pp. 273, 274.
- ^ 愛知郡 1923, pp. 301, 306.
- ^ 幡山西小学校 1973, p. 19.
注釈
[編集]参考文献
[編集]- 愛知郡 編『愛知郡誌』愛知郡、1923年。
- 瀬戸市 市民課 編『瀬戸市町名設定施行一覧表』瀬戸市、1971年10月16日。
- 瀬戸市 編『昭和45年4月15日施行 町名設定調書(本地南部地区)』瀬戸市、1970年。
- 瀬戸市 編『昭和46年9月2日施行 町名設定調書(本地中部地区)』瀬戸市、1971年。
- 瀬戸市 編『昭和49年11月12日施行 町名設定調書 本地地区[本地三工区]』瀬戸市、1974a。
- 瀬戸市 編『昭和49年11月12日施行 町名設定調書 本地地区[本地五工区]』瀬戸市、1974b。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年。ISBN 4-04-001230-5。
関連項目
[編集]外部リンク
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