朴漢相 (1922年生)
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(朴漢相から転送)
朴 漢相(パク・ハンサン、朝鮮語: 박한상、1922年4月25日 - 2001年9月26日)は大韓民国の法曹、弁護士、政治家。第6・7・8・9・10・12代韓国国会議員[1]。本貫は密陽朴氏[2]。号は紫雲(チャウン、자운)[3]。仏教徒。
生涯
[編集]1922年4月25日、日本統治時代の朝鮮で咸鏡南道の安辺郡[4]またはソウルに生まれた[1]。ソウル大学校文理科大学卒業[1]。中央高等軍法会議検察官、法律評論社編集局長、弁護士、人権相談所長、韓国人権擁護協会会長を経て、新民党最高委員と第6・7・8・9・10・12代国会議員、民主化推進協議会副議長を務めた[4]。特に1964年9月12日に韓国人権擁護協会会長として、人民革命党事件で拘束・起訴された都礼鍾などの26名の被告人のうち、大部分が中央情報部によるひどい拷問を受けたと暴露し波紋を呼んだ[5]。
1969年8月29日夜から30日早朝までには国会の常任委員会で約10時間の演説をして、記録となった[6]。
2001年9月16日、老衰により79歳で死去した[4]。
脚注
[編集]- ^ a b c “대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2022年3月23日閲覧。
- ^ “(2)밀양 박씨(密陽朴氏)-3,031,478명” (朝鮮語). 서울이코노미뉴스 (2014年7月5日). 2022年8月15日閲覧。
- ^ “[부음박한상 前국회의원 별세]” (朝鮮語). 동아일보 (2001年9月26日). 2023年11月5日閲覧。
- ^ a b c “박한상 前국회의원 별세” (朝鮮語). 경북일보 - 굿데이 굿뉴스 (2001年9月27日). 2023年8月16日閲覧。
- ^ “인민혁명당 사건 (人民革命黨 事件)” (朝鮮語). 韓国民族文化大百科事典. 2023年10月17日閲覧。
- ^ “의회정치 60년, 선량들이 낳은 진기록|신동아” (朝鮮語). 신동아 (2008年8月4日). 2023年8月20日閲覧。