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李無影

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
李龍九から転送)
李無影
誕生 1908年[1]
忠清北道 陰城[1]
死没 1960年[1]
職業 小説家
言語 朝鮮語
活動期間 1926年[1] - 1960年
ジャンル 小説
デビュー作의지 없는영혼 (意志のない魂)』[1]
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李無影
各種表記
ハングル 이무영
漢字 李無影[2]
発音: イ・ムヨン
日本語読み: り むえい
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李 無影(り むえい、イ・ムヨン、朝鮮語: 이무영1908年1月14日 - 1960年4月21日)は、朝鮮小説家本貫慶州李氏[3]は無影、本名は龍九。同時代の多くの作家が同人を形成していたのに対し、李は孤独に文学修行を極めた。その筆は貧苦を嘗める農民へ向かい、「農村文学の先駆者」と形容される。

略歴

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1908年1月14日忠清北道陰城郡陰城邑碩人里(俗称・オリコル)に生まれた、とされる。7人兄妹の次男。父は李徳汝。裕福とはいかないまでも、暮らしに困るほどではない中流の家であった。後に詩人となる李冾李康冾)と同郷である。

11歳の時、兄の乙用を頼って上京し、翌年、徽文高等普通学校に入学する。李が文学を志す契機となったのは中学2年のときに読んだ田山花袋の『蒲団』に心動かされたからだという。1925年、卒業を間近にして釜山に渡り、雑役夫をしながら日本に渡る準備をした。その年、日本に渡り、加藤武雄の門下生となった。そうして4年間、徳田秋声久米正雄志賀直哉島崎藤村からフランス文学ロシア文学まで渉猟し、文学修業に精を出した。留学中、盧子泳と会い、盧が経営する青鳥社から処女作『よりどころなき青春』、そして『廃墟の涙』を出版することになる。しかし、李の名はこの頃まだ知られることはなかった。

1929年、帰国後、教員出版社雑誌社を転々としながら執筆活動を続け、1932年頃から著作家としての真価が表れ始めた。1934年5月に、東亜日報社に入社する。このときの同僚に徐恒錫李殷相卞栄魯朱耀燮などがいた。1935年、同じく東亜日報に勤めていた申永均の仲介で申の妻の妹である高日新と結婚する。1936年日章旗抹消事件によって『東亜日報』が停刊になり、職を失った李は李冾と文芸雑誌『朝鮮文学』を創刊した。しかし、思うようにはいかず、京畿道の宮村に引きこもった。

宮村に引きこもった李は、ここで農村小説を書き綴る。その主人公は李自身であり、苦生した父の影であった。しかし、李は実際に農業に携わってはいない。また、父と一緒に住んでいたわけでもなかった。

1945年8月15日の解放後、朝鮮戦争が始まると、文友の尹白南廉想渉らと一緒に海軍に入隊、3年半勤務した。1956年ソウル市文化賞を受賞する。同じ年、李軒求白鉄異河潤と共に国際ペンクラブ・ロンドン大会に参加した。1960年4月21日、突然の脳溢血によって逝去する。

死後は親日反民族行為者に認定された[4]

年譜

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代表作品一覧

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短篇小説

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  • 1932 꾸부러진 平行 (『東亜日報』)
  • 1932 B女의 素描
  • 1934 農夫
  • 1934 당기 揷話
  • 1934 루빠쉬카
  • 1934 吳道令
  • 1934 龍子小傳
  • 1934 醉香
  • 1934 牛心
  • 1936 出家
  • 1937 萬甫老人
  • 1937 乳田
  • 1939 宮村記
  • 1939 딸과 아들과(『人文評論』)
  • 1939 第一課 第一章(『人文評論』)
  • 1950 頂上에서
  • 1950 ㄷ氏行狀記
  • 1950 草鄕
  • 1950 長靴
  • 1950 바다의 對話
  • 1950 死의 行列
  • 1950 O型의 人間
  • 1955 狂舞曲
  • 1955 逆流
  • 1955 壁畵
  • 1955 아침
  • 1955 그 전날 밤
  • 1956 호텔 이이따리꼬
  • 1956 浮標
  • 1956 屍身과의 對話
  • 1956 狂像
  • 1960 木石夫人

中・長篇小説

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戯曲

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  • 1931 한낮에 꿈꾸는 사람들
  • 1932 脫出
  • 1932 아버지와 아들
  • 1952 李舜臣
  • 1955 八角亭 있는 집發着點에 선 사람들

脚注

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  1. ^ a b c d e 인물정보(人物情報) NAVER(韓国語) 2011年9月2日閲覧。
  2. ^ 이무영 (イ・ムヨン) chosun.com 조선 DB (朝鮮 DB)(韓国語) 2011年9月2日閲覧。
  3. ^ 이무영(李無影)”. 韓国民族文化大百科事典. 2022年8月20日閲覧。
  4. ^ 06년 12월6일 이완용 등 친일반민족행위자 106명 명단 확정 공개” (朝鮮語). 한국일보 (2021年12月6日). 2022年7月25日閲覧。