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村上利夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
村上 利夫
むらかみ としお
生年月日 (1932-03-12) 1932年3月12日(92歳)
出生地 福井県上中町
出身校 福井県立大学鯉淵学園研究科卒業
前職 小浜市

在任期間 2000年8月[1] - 2008年

選挙区 小浜市・遠敷郡選挙区
当選回数 4回
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村上 利夫(むらかみ としお、1932年昭和7年)3月12日[2] - )は、日本の農業技術者、政治家。元福井県小浜市長(2期)。

来歴

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福井県上中町(現・若狭町)出身。福井県立遠敷農林学校(現・福井県立若狭東高等学校)卒業。福井県立高等農業講習所(現・福井県立大学)鯉淵学園研究科卒業。

1952年から、福井県農業改良普及員・専門技術員等。1971年から1976年まで、福井県立農業短期大学校(のち福井県立大学看護短期大学部)教授。その後、福井県農林水産部長、同県議会議員、同県農業会議会長、同県森林組合連合会長などを経て、福井県小浜市長(2000年8月から2期)。全国歴史研究会本部正会員。1998年、協同農業普及事業功労(農林水産大臣)。2001年緑白綬有功章(大日本農会)。2009年、旭日小綬章。2009年、緑化功労表彰(農林水産大臣)。

政治的主張

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道州制について

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福井県では、仮に道州制が施行された場合、所属について地方制度調査会(所在地:東京都区部)による区割り案は、9道州の場合は関西州に、11道州及び13道州の場合は北陸州、また、「熱論・合州国家日本」に掲載されている区割り案では、大前研一案が北陸道平松守彦案が関東信越州江口克彦案が信越北陸州とされている。

2006年(平成18年)3月1日河瀬一治・敦賀市長は、新年度当初予算案発表会見の中で道州制について触れ、以下のように発言した。

嶺南の総意は近畿(関西)に入る事。嶺北が北陸に入るならば縁を切る事もある。
文化圏や今秋(2006年秋)のJR直流化など、嶺南は近畿に近い。嶺南だけを見れば当然、近畿。県も経済的な繋がりが深い近畿に向いているだろう。嶺北が北陸に入るとなれば、縁を切って、お別れという事になる。 — [3]

次いで、同年3月6日には、村上利夫(当時小浜市長)も、市議会の所信表明で道州制について触れ、以下のように発言した。

福井県が関西と圏域を一にする事を強く主張する。少なくとも小浜市や嶺南が北陸に属する事はあってはならない。
道州制は、東京一極集中を是正する動機になるやもしれぬと期待している。国と県で論議されるべき問題だが、地域割りについては市町村として決して看過できる問題ではない。自治体としての意思表示を明確にすべき時だ。 — [4]

一方、3年後の2008年(平成21年)8月4日に河瀬一治・敦賀市長が定例記者会見にて上述の「嶺北とは縁を切る」という自身の発言について新聞記者から質問された際には、「嶺南と嶺北を分けるのではなく、福井県が一体となって関西へ入ることが望ましい」という主旨で以下のように発言している[5][6]

昔、そんなことをちらっと言ったこともありますけれども、やはり福井県というのは一緒になって、昔、話をすると、うちは滋賀県の時代も敦賀県の時代もありましたし、100年以上前の話ですけれども、それと、文化的にも確かに嶺北とは違います。もう言葉が、イントネーションが違いますし、そういう意味で、そういうところはありますけれども、でも福井県になってもう100年以上たちますし、福井県の中の一員として今頑張ってきておりますから。恐らく嶺北の皆さん方も、例えば道州制の中でどういうふうに分かれるかとなると、もしそれなら関西のほうがいいんじゃないかと思っている人もたくさんいると思うんです。だから無理やり切り離すということは考えんでもいいんじゃないかなと思っています。
歴史的なものを見て、文化的なことを見れば、どちらかというと、私は余り標準語しゃべりませんけれども、東京へ行ったら絶対に関西の人やねと言われます。学生時分もそうやったんですけれども、行って、向こうでしゃべったら、あなた関西の人でしょうと言われるイントネーションなんです。この敦賀を含めて嶺南地域というのは。それだけの文化圏でもっていますから。そういう意味はありますけれども、先ほど言いました、福井県としてもう100年以上一緒になってやってきておりますので、前言いましたのは、どうしてもあかんと、もうどうしてもと言うんなら、そういうときはやむを得ずということは言いましたけれども、今は雰囲気的にそういうことも余りありませんので、福井県は一つということで頑張っていきたいなと思います。

と語っている。

逸話

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2008年6月28日午後8時15分頃、岐阜県各務原市蘇原寺島町1丁目で、パートの46歳女性が自宅で血を流して倒れているのを帰宅した塗装工の17歳息子が発見し110番通報した。岐阜県警察各務原警察署は、殺人事件と断定、捜査本部を設置し、同居していた46歳男性の行方を追っていた。翌、6月29日未明、福井県小浜市内で同居人の46歳男性が使用していた軽自動車が見つかり、岐阜、福井両県警が捜索を開始した。7月1日午後7時25分頃、小浜市東勢にある村上市長宅の離れに隠れているのを、帰宅した市長らが見つけ、市職員が福井県警察小浜警察署に通報。署員が付近を捜索し、約20分後に勢浜海水浴場近くの海に潜っているのを発見した。海水を飲み衰弱しているといい、捜査本部は回復を待って殺害方法や動機を調べる。

関連項目

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脚注

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  1. ^ 福井県知事・市町長等の任期満了一覧 | 福井県ホームページ
  2. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、192頁。
  3. ^ 福井新聞 2006年3月2日付記事[リンク切れ]
  4. ^ 福井新聞 2006年3月6日付記事[リンク切れ]
  5. ^ 市長の部屋 市長定例記者会見(平成21年度前半)”. 敦賀市ホームページ. 敦賀市. 2021年6月20日閲覧。
  6. ^ 平成21年8月4日会見内容 (PDF:208KB)”. 敦賀市. 2021年6月20日閲覧。