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東海・東南海・南海地震

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東海・東南海地震から転送)
主要カテゴリ > 地震 > 連動型地震 > 東海・東南海・南海地震

東海・東南海・南海地震(とうかい・とうなんかい・なんかいじしん)は、想定東海地震東南海地震南海地震が同時発生するという仮定の下で想定された南海トラフにおける連動型巨大地震のことである。三連動大地震とも三連動大震災とも呼ばれる。

想定東海地震は駿河湾、東南海地震は遠州灘沖および熊野灘沖(浜名湖沖から潮岬やや東寄り沖)、南海地震は紀伊水道沖および土佐湾沖(潮岬やや東寄り沖から足摺岬沖)が、それぞれ震源域と想定されていた。このように震源域が分かれる要因は、海底の地形、沈み込んだプレートの傾斜角、トラフ軸の向きなどが関係しているとされる[1]

概要

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駿河湾から九州にかけての太平洋沿岸では、フィリピン海プレートユーラシアプレートとの収束境界、すなわち沈み込み帯である南海トラフでは、過去に100 - 150年程度の間隔で巨大地震が繰り返されていると考えられていた。

1944年昭和東南海地震および1946年昭和南海地震から既に50数年の年月が経過した2001年の時点では、昭和の2地震の規模が比較的小さかったことなどから21世紀の前半にも、南海トラフを震源とする巨大地震の発生が懸念されていた。

そこで2001年6月の中央防災会議において、中部圏、近畿圏等における災害対策の強化、地震・津波被害の想定や災害対策のあり方を検討する「東南海、南海地震等に関する専門調査会」の設置が決定された[2]

また、1970年代から発生の可能性が唱えられていた駿河湾を震源域とする東海地震がこの時点でまだ発生していないことから、次回の東南海・南海地震と連動して発生する可能性も否定できないとされ、当時の最大級の地震の想定として、これらの3つの震源域が連動する「想定東海地震、東南海地震、南海地震の震源域が同時に破壊される場合」すなわち東海・東南海・南海地震が想定された[2][3]

過去の歴史地震との関係

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1707年宝永地震は、震度分布や津波襲来の領域から1854年安政東海地震(想定東海地震と東南海地震が震源域と推定)および安政南海地震の震源域を併せたものにほぼ相当するという考えから、東海道沖および南海道沖で2つの地震がほぼ同時に発生したものと推定されていた[4][5]

また、昭和東南海地震では、安政東海地震で断層破壊された駿河トラフ部分が未破壊のまま残され、この部分が将来断層破壊する東海地震が想定された[2][6]

このような経緯から、東海地震・東南海地震・南海地震の震源域が仮定され、比較的史料が揃っている宝永、安政、昭和の過去の5地震をモデルに、それぞれの震源域が単独、あるいは同時発生する場合が想定された[2][7]

  • 過去の5地震の震源域(従来の見解)
  1. 1707年10月28日(宝永4年10月4日宝永地震東海 東南海 南海連動) M8.6
  2. 1854年12月23日(嘉永7年11月4日安政東海地震東海 東南海連動) M8.4
  3. 1854年12月24日(嘉永7年11月5日安政南海地震南海地震) M8.4
  4. 1944年(昭和19年)12月7日 昭和東南海地震東南海地震) M7.9
  5. 1946年(昭和21年)12月21日 昭和南海地震南海地震) M8.0

南海トラフ沿いで歴史的に発生している巨大地震の詳細については、「南海トラフ巨大地震」を参照のこと。

3連動地震

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3連動地震と考えられてきたものは、1707年の宝永地震であり[7][8]、大規模な津波堆積物が見いだされている天武13年(684年)の白鳳地震正平16年(1361年)の正平地震も宝永型の可能性があるとされ[9]、記録から仁和3年(887年)の仁和地震も可能性が高いとされてきた[10]慶長9年(1605年)の慶長地震も津波波源域が東海から南海に及ぶとされ[11]、房総沖も連動したとする説もある[12]が、その他東海道はるか沖を震源とするなど諸説あり[13]、南海トラフの地震ではないとする見解も出されている[14]

しかしながら、仁和地震は、静岡県磐田市の太田川沿いの元島遺跡から発見された9世紀後半頃の津波堆積物の規模が小さいことから3連動地震の可能性は低いとされ[15][16]、さらに仁和地震に相当する津波堆積物は南海側では見出されず、正平地震に相当する津波堆積物も東海側では見出されていない[17]

また、宝永地震については駿河湾が震源域に含まれる[18]、含まれない[19]との論争があった一方で、日向灘地震の震源域まで伸びていた可能性が指摘され[20]、また安政の2地震の同時発生では説明できず、単なる3連動地震ではない別物の巨大地震との説も浮上している[21]

その後の研究により、地震が起こるたびに震源域が変化するという、従来の東海・東南海・南海の枠に捕われない見解が出されるようになった。例えば、同じ南海地震でも安政の南海地震は南海道沖全域が震源域となったのに対して、昭和の南海地震は西側4分の1は震源域ではなかったと推定されている[22]。また一方で東京大学地震研究所の瀬野徹三(2011)は、3地震の現在の分類を変える必要を挙げ、南海トラフの東端の震源域(東南海の一部及び東海)と連動して静岡付近まで断層の破壊が進む「安政型」、その震源域と連動せず静岡までは断層の破壊が起きない「宝永型」の二種類に分類することができるという説を唱えている[23]

瀬野徹三(2013)は、南海トラフ沿いで起こった歴史地震のなかで、3連動地震であった証拠が確かなものは無いとしている[24]

想定

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2003年9月の東南海、南海地震等に関する専門調査会で検討された、地震の発生の仕方は以下のようなものであった[25]

  1. 想定東海地震、東南海地震、南海地震の震源域が同時に破壊される場合(東海 東南海 南海連動)
  2. 東南海地震、南海地震の震源域が同時に破壊される場合(東南海 南海連動)
  3. 想定東海地震、東南海地震の震源域が同時に破壊される場合(東海 東南海連動)
  4. 東南海地震単独で発生する場合(東南海地震)
  5. 南海地震単独で発生する場合(南海地震)
東海・東南海・南海地震の震源域

これらの内、最大級の「想定東海地震、東南海地震、南海地震の震源域が同時に破壊される場合」については宝永地震をモデルとし、宝永地震の推定された震度分布に安政東海地震、安政南海地震、昭和東南海地震、昭和南海地震の震度分布を重ね合わせて宝永タイプの震度分布を再現し、津波の高さについても当時推定されていた宝永津波の高さ分布に安政東海地震の紀伊半島以東、および安政東海地震の紀伊半島以西の推定津波高さ分布を重ね合わせてモデルが作成された[2]

また、震源域は、一般的にプレート境界で温度が100 - 150℃となる深さ約10kmより深い領域、また温度が350 - 450℃となる深さが30kmより浅い領域が固着、すなわちカップリングして断層破壊領域になるとされた。最大級の「想定東海地震、東南海地震、南海地震の震源域が同時に破壊される場合」のマグニチュードはMw8.7であり、津波断層を考慮した場合はMw8.8とされた[2]

2003年の中央防災会議では、3連動型が早朝5時に発生した場合の被害予想として、建物全壊棟数は約51万3000から56万8600棟[注 1]、死者数は約2万2000から2万8300人にのぼり[注 2]、経済被害は約53 - 81兆円[注 3]と試算された。静岡県、愛知県などで最大震度7を観測すると予測され[注 4]、茨城県から鹿児島県まで、広い範囲で津波が観測され、愛知県、静岡県には平均して4 - 5m、四国太平洋沿岸では平均10〜12m、最大20m近い波が予想される。

2002年7月26日には「東南海・南海地震に係る地震防災対策の推進に関する特別措置法」(平成14年法律第92号)が制定され、翌2003年7月25日から施行された。この法律では東南海・南海地震が発生した場合に著しい被害が生ずるおれがある地域が「東南海・南海地震防災対策推進地域」として指定された[26]。2013年11月29日に本法律は改正により「南海トラフ地震に係る地震防災対策の推進に関する特別措置法」と改称された[27]

2011年東北地方太平洋沖地震発生以後、従来の想定が全面的に見直されることとなり「南海トラフの巨大地震モデル検討会」が設置され、同年8月に第1回の会合が開かれた[28]。尤も、2003年12月の「東南海、南海地震等に関する専門調査会(第16回)」の報告では、今後の観測データや学術的知見の蓄積を基に10年程度後には東海地震と東南海地震等との関係について再検討する必要があるとされていた[2]

発生確率の長期評価

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地震調査研究推進本部による海溝型地震の発生確率の長期評価は、東海・東南海・南海と個別に評価され、連動する確率については評価できないとしている。

次回の地震の発生時期については、宝永、安政、昭和地震における室津港の隆起量をそれぞれ1.8m、1.2m、1.15mと見積もり、時間予測モデルから昭和地震後の発生間隔を88.2年とし、震源断層長、震源域で推定されるずれ量等から求めた発生間隔も考慮して、昭和東南海地震後の発生間隔は86.4年、昭和南海地震後は90.1年と見積もり、BPT分布モデルから30年以内等の発生確率を求めている[7]

発生確率等の評価(地震調査委員会)
領域 様式 規模 (M) 評価時点の30年以内の発生確率
2001年1月1日[7] 2011年1月1日[29]
東海地震 プレート間地震 M8.0前後 - 87%程度(参考値)
東南海地震 プレート間地震 M8.1前後 50%程度 70%程度
南海地震 プレート間地震 M8.4前後 40%程度 60%程度

また、2013年以降は個別の震源域の評価は行わず、南海トラフのM8〜9クラスのプレート間地震として評価され、最大クラスの地震については評価できないとしている[30]

脚注

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注釈

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  1. ^ 阪神・淡路大震災は約10万4906棟、東日本大震災は約12万6315戸
  2. ^ 阪神・淡路大震災では6,432人、東日本大震災では1万5843人
  3. ^ 阪神・淡路大震災では約13兆円、東日本大震災では16兆 - 25兆円
  4. ^ 豊橋市浜松市などで震度7、名古屋市(特に西部)、四日市市で震度6強 - 6弱

出典

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  1. ^ 中央防災会議、2007年、8頁(§1-1-1)
  2. ^ a b c d e f g 東南海、南海地震等に関する専門調査会(第16回)、内閣府
  3. ^ 東海・東南海・南海地震の連動性評価研究プロジェクト
  4. ^ 飯田汲事(1982)、「歴史地震の研究(5) : 宝永4年10月4日(1707年10月28日)の地震及び津波災害について」 愛知工業大学研究報告. B, 専門関係論文集, 17, 143-157., NAID 110000043480
  5. ^ 宇佐美龍夫(1984) (PDF) 宇佐美龍夫(1984): 宝永地震の震度分布, 地震予知連絡会会報, 第31巻, 7-3.
  6. ^ 石橋克彦(1977) (PDF) 石橋克彦(1977): 東海地方に予想される大地震の再検討 駿河湾地震の可能性, 地震予知連絡会会報, 17, 126-132.
  7. ^ a b c d 南海トラフの地震の長期評価について, 地震調査研究推進本部 地震調査委員会
  8. ^ 都司嘉宣, 行谷佑一(2007):連動型巨大地震としての宝永地震(1707) (PDF) , 日本地球惑星科学連合2007年大会、T235, 010.
  9. ^ 松岡裕美, 岡村眞, 岡本直也, 中野大智, 千田昇, 島崎邦彦(2007): 津波堆積物に記録された南海地震の繰り返し間隔 (PDF) ,日本地球惑星科学連合2007年大会予稿集,S141-P037.
  10. ^ 石橋克彦(2000):887年仁和地震が東海・南海巨大地震であったことの確からしさ (PDF) , 日本地球惑星科学連合, 地球惑星科学関連学会2000年合同大会予稿集, Sl-017.
  11. ^ 今村明恒(1943):「慶長九年の東海南海両道の地震津浪に就いて」、『地震 第1輯』 1943年 15巻 6号 p.150-155, doi:10.14834/zisin1929.15.150
  12. ^ 羽鳥徳太郎「明応7年・慶長9年の房総および東海南海道大津波の波源」『東京大学地震研究所彙報』第50巻第2号、東京大学地震研究所、1976年1月、171-185頁、doi:10.15083/0000033244ISSN 00408972NAID 120000871397 
  13. ^ 地震の事典
  14. ^ 石橋克彦, 原田智也(2013): 1605(慶長九)年伊豆-小笠原海溝巨大地震と1614(慶長十九)年南海トラフ地震という作業仮説,日本地震学会2013年秋季大会講演予稿集,D21‒03
  15. ^ : 藤原治(2013) (PDF) 藤原治, 青島晃, 北村晃寿, 佐藤善輝, 小野映介, 谷川晃一朗, 篠原和大(2013): 元島遺跡周辺(静岡県磐田市)で見られる4世紀から中世にかけての津波堆積物,歴史地震, 28号,145.
  16. ^ 3連動地震、7世紀にも発生か 静岡で津波堆積物 「南海」と同時期、産総研が確認 日本経済新聞, 2012年8月21日付
  17. ^ 中間とりまとめ (PDF) , 内閣府 南海トラフの巨大地震モデル検討会
  18. ^ 石橋克彦(1977) (PDF) 石橋克彦(1977): 1707年宝永地震の震源域は駿河湾奥まで及ばなかったか?,地震予知連絡会東海部会資料,建設省国土地理院,69-78.
  19. ^ 中西一郎, 矢野信(2005): 1707年宝永地震震源域の東端位置, 北海道大学地球物理学研究報告, 68, 255-259., hdl:2115/14375
  20. ^ Takashi Furumura, Kentaro Imai, and Takuto Maeda(2011): "A revised tsunami source model for the 1707 Hoei earthquake and simulation of tsunami inundation of Ryujin Lake, Kyushu, Japan", Journal of Geophysical Research: Solid Earth Volume 116, Issue B2., doi:10.1029/2010JB007918
  21. ^ 松浦律子, 中村操, 唐鎌郁夫(2011): [講演要旨]1707年宝永地震の新地震像(速報) (PDF) ,歴史地震, 26号,89.
  22. ^ 地震調査委員会、2013年5月、主文10頁および説明文別表
  23. ^ 瀬野徹三(2011): 「南海トラフ巨大地震 -その破壊の様態とシリーズについての新たな考え」 (PDF) , 東京大学地震研究所, 2011年
  24. ^ 瀬野徹三(2011): 南海トラフ三連動型地震・M9はあり得るか? (PDF) , 第21回GSJシンポジウム「古地震・古津波から想定する南海トラフの巨大地震」
  25. ^ 東南海、南海地震等に関する専門調査会(第14回)、内閣府
  26. ^ 東南海・南海地震に係る地震防災対策の推進に関する特別措置法
  27. ^ 南海トラフ地震に係る地震防災対策の推進に関する特別措置法(平成十四年法律第九十二号)”. e-Gov法令検索. 総務省行政管理局 (2018年5月18日). 2020年1月23日閲覧。 “2018年11月16施行分”
  28. ^ 南海トラフの巨大地震モデル検討会(第1回)
  29. ^ 過去の長期評価結果一覧 (PDF) , 地震調査研究推進本部 地震調査委員会
  30. ^ 地震調査委員会、2013年5月、主文13頁

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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