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松山博明

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松山 博明
名前
カタカナ マツヤマ ヒロアキ
ラテン文字 MATSUYAMA Hiroaki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1967-08-31) 1967年8月31日(57歳)
出身地 京都府
身長 172cm
体重 70kg
選手情報
ポジション MF
ユース
1983-1985 日本の旗 山城高校
1986-1989 日本の旗 早稲田大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1990 日本の旗 古河電工 0 (0)
1991-1995 日本の旗 フジタ/ベルマーレ平塚 66 (3)
1995 日本の旗 鳥栖フューチャーズ 4 (1)
1996 日本の旗 コンサドーレ札幌 0 (0)
通算 70 (4)
監督歴
2009 日本の旗 大分トリニータ
2010-2012  ブータン代表
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

松山 博明(まつやま ひろあき、1967年8月31日 - )は、京都府出身の元サッカー選手、サッカー指導者。一時期登録名を「松山 広淳」としていた。[1][2]スポーツ科学(スポーツ心理学)博士でもある。現在は、追手門学院大学社会学部教授(スポーツ科学博士)として、スポーツ心理学やコーチング学を講義している。また、KBS京都の解説をはじめ、京都サッカー協会ユースダイレクターやJリーグマッチコミッショナーとしても活躍している。関西圏にてサッカー個人レッスンを手掛ける、カンツェ・エデュケーション・カンパニー代表を務める。

兄の松山吉之も元サッカー選手で、現在は関西サッカーリーグ2部・レイジェンド滋賀FCの監督。

来歴

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選手時代

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山城高校時代は全国高等学校サッカー選手権大会で得点王に輝き、早稲田大学へ進学、卒業後、古河電気工業サッカー部に「入社」、以来フジタ工業を経てベルマーレ平塚東芝コンサドーレ札幌でプレーした[3]

指導者時代

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2004年にサテライト監督に就任したヴィッセル神戸では、イワン・ハシェック監督が退任後、10月2日の東京ヴェルディ1969戦で監督代行を任され、2-0で勝利した[4] 当初は1試合だけという条件付きでの監督代行だったが、東京V戦の勝利と、後任監督選びが進まないこともあり、その後も指導を任されるようになる[4]。しかし、当時の松山はまだS級ライセンスを取得前だったため、名目上の監督には育成普及部長の加藤寛が就き、松山は「通訳」の肩書きで実際にはチームの指揮を執った[4]。「通訳」という肩書きは、試合中にテクニカルエリアに入るための苦肉の策だった[4]。加藤監督・松山「通訳」体制の神戸の成績は5勝1分2敗だった。

2006年からは大分トリニータの強化担当に就任、同年7月にS級ライセンスを取得した[3]。大分ではその前にコーチを務めていた滝川第二高校時代の教え子である金崎夢生清水圭介らを加入させた[5]。強化担当にあった2009年7月、監督のペリクレス・シャムスカが解任されたのに伴い、後任のランコ・ポポヴィッチの登録が完了するまで1試合だけ暫定監督を務め[5]浦和レッズに1-0で勝利してチームの連敗を14で止めた[5][6]

2010年5月31日付で大分を退団し[7]日本サッカー協会のアジア貢献事業の一環としてブータンに派遣され[7][8]ブータン代表監督と若年層の強化を担当した[5][7]。2012年に関西国際大学サッカー部監督に就任[9]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1990-91 古河 22 JSL1部 0 0 0 0
1991-92 フジタ 16 JSL2部 29 1 3 0
1992 旧JFL1部 14 1 - 4 0 18 1
1993 18 1 5 0 1 0 24 1
1994 平塚 - J 5 0 0 0 0 0 5 0
1995 0 0 - - 0 0
1995 鳥栖 33 旧JFL 4 1 - 0 0 4 1
1996 札幌 17 0 0 - 0 0 0 0
通算 日本 J 5 0 0 0 0 0 5 0
日本 JSL1部 0 0 0 0
日本 JSL2部 29 1 3 0
日本 旧JFL 36 3 5 0 5 0 46 3
総通算 70 4 8 0

個人タイトル

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指導歴

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監督成績

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年度 所属 クラブ リーグ戦 カップ戦
順位 試合 勝点 勝利 引分 敗戦 ナビスコ杯 天皇杯
2004 J1 神戸 - 1 3 1 0 0 - -
2009 大分 - 1 3 1 0 0 - -

出典

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全体

細部

  1. ^ 『J.LEAGUE年鑑1994公式記録集―Jリーグオフィシャル1995レコード&データ』 小学館、1994年、132頁、158頁
  2. ^ [1] 1994年04月16日(土)ジュビロ磐田 vs ベルマーレ平塚
  3. ^ a b 松山博明強化担当 大分トリニータコーチ 就任決定のお知らせ [ 大分 ](09.07.21)”. J's GOAL (2009年7月21日). 2011年9月7日閲覧。
  4. ^ a b c d 村上 研志 (2004年10月28日). “神戸を生まれ変わらせた「名通訳」”. asahi.com. 2011年9月7日閲覧。
  5. ^ a b c d 【J2日記】大分:幸せな国の、幸せなサッカー (10.05.29)”. J's GOAL (2010年5月29日). 2011年9月7日閲覧。
  6. ^ 【トリニータ】ほえた!深谷ヘッド”. 大分合同新聞 (2009年7月19日). 2009年9月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年9月7日閲覧。
  7. ^ a b c 松山さんがブータン監督 J2大分コーチから「幸せの国」へ”. 西日本スポーツ (2010年6月1日). 2010年6月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年9月7日閲覧。
  8. ^ “山城高サッカー部出身の松山博明さんがブータン代表監督に”. 京都新聞. (2010年6月12日). http://www.kyoto-np.co.jp/kp/sport/mandara/c_athlete/at48.html 2011年9月7日閲覧。 
  9. ^ FMもりぐち「ラグ・タイム」にゲスト出演 | 松山博明のブログ

関連項目

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外部リンク

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