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松平外与麿

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松平外与麿

松平 外与麿(外與麿、まつだいら とよまろ、1890年明治23年)8月7日[1] - 1959年昭和34年)12月17日[1][2])は、大正から昭和期の内務官僚政治家華族貴族院男爵議員

経歴

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華族・松平正存の長男として生まれる[1][3]。祖父松平正直の死去に伴い、1915年(大正4年)5月21日、男爵を襲爵した[1][3][4]

学習院を経て[5]、1915年7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業した[2][3][5][6]。同年、内務省に入省し岐阜県属となる。1918年(大正7年)10月、高等試験行政科試験に合格した[5]埼玉県警視栃木県理事官、京都府理事官、同府地方事務官、滋賀県書記官、宮崎県書記官、鳥取県書記官、埼玉県書記官・学務部長などを務め、1932年(昭和7年)に退官した[2][3][5]

1932年7月10日、貴族院男爵議員に選出され[7][8]公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで2期在任した[2]。同年の第1回参議院議員通常選挙全国区から立候補したが落選した[9]

戦後は千葉大学講師、専修大学講師を務めた[1]

親族

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  • 父:正存(中川中之長男、祖父正直養子、離縁)[1]
  • 母:芳子(よしこ、祖父正直長女、正存夫人)[1]
  • 妻:千勢子(田島信夫二女)[1]
  • 養子:明兼(周布兼道二男)[1]
  • 長女:帛子(きぬこ、旧名・暢子、明兼夫人)[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 『平成新修旧華族家系大成 下巻』572-573頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』85頁。
  3. ^ a b c d 『人事興信録 第14版 下』マ95頁。
  4. ^ 『官報』第840号、大正4年5月22日。
  5. ^ a b c d 『日本官僚制総合事典1868-2000』223頁。
  6. ^ 『東京帝国大学一覧 從大正4年 至大正5年』東京帝国大学、1910年、学士及卒業生姓名122頁。
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、41頁。
  8. ^ 『官報』第1664号、昭和7年7月18日。
  9. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』539頁。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868-2000 第2版』東京大学出版会、2007年。
  • 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。


日本の爵位
先代
松平正直
男爵
松平(正直)家第2代
1915年 - 1947年
次代
華族制度廃止