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桂仁左衛門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
初代 かつら 仁左衛門にざえもん
初代 桂(かつら) 仁左衛門(にざえもん)
結三柏は、桂文枝一門の定紋である。
本名 深江 鶴吉
生年月日 1853年
没年月日 1911年11月12日
出身地 日本の旗 日本 大阪府
師匠 5代目林家正三
2代目桂文枝
弟子 初代桂小南
2代目桂三木助
桂門三郎
初代桂南天
桂小南光
桂左衛門
仁太郎
桂仁鶴
名跡 延好
初代林家小正楽
時蔵
2代目桂南光
桂仁左衛門
活動期間 1873年 - 1911年
活動内容 上方落語
所属 桂派
主な作品
「三十石」

桂 仁左衛門(かつら にざえもん、1853年 - 1911年11月12日)は、上方噺家。本名:深江鶴吉。享年58。

人物

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元は西横堀川の木挽職人。初め素人落語連に入り挽丸(引丸)を名乗る。1873年頃に、5代目林家正三門下に入り延好、初代林家小正楽となる。次に2代目桂文枝(後の桂文左衛門)門下に移り、時蔵(小正楽と時蔵は逆の可能性も)を経て、1881年2代目桂南光を襲名。桂派の大黒柱として活躍する。1906年3月、贔屓にしていた歌舞伎役者の3代目片岡我當11代目片岡仁左衛門を襲名した際、自らも桂仁左衛門に改名。[1]

片足が不自由な上に、あばた面で、そのふくよかな風貌から「大煎餅(あるいは餡パン)」とあだ名された。俗受けはしなかったが、洒脱で、人情噺にも通じ、交代で来た東京の落語家たちも舌を巻く程の巧さであったという。十八番は「三十石」で、特にその豊かな美声の船唄は絶品であった。「三十石浮かれの舟唄」[2]また、歌舞伎だけでなく、相撲もまた大の贔屓で、1903年には大阪相撲協会から木戸銭御免の札を贈られている。

1910年3代目桂文枝の死後も、衰えゆく桂派を良く支えたが、大酒呑みでもあり翌年には中風となり自らも死去した。墓所は大阪市東成区の大今里墓地。法名: 釋浄鶴。

得意ネタは上記の「三十石」以外に「木挽茶屋」「ざこ八」なども得意とした。また1929年出版の月亭春松の『落語系圖』には愛犬を抱いた写真が掲載されている。

多く弟子の指導に力を注いだが、稽古は厳しく恐れられた、主な門下には初代桂小南2代目桂三木助桂門三郎初代桂南天桂小南光、左衛門(後の3代目桂梅枝)、仁太郎(4代目林家木鶴)、桂仁鶴(後の桂三木丸)らがいる。

出典

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脚注

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  1. ^ 前田勇 編『上方演芸辞典』東京堂出版、1966年、p,145頁。 
  2. ^ 前田勇 編『上方演芸辞典』東京堂出版、1966年、p,145頁。