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梅園篤彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
梅園篤彦
うめぞの あつひこ
貴族院事務局『貴族院要覧(丙) 昭和二十一年十二月増訂』より
生年月日 1889年7月17日
没年月日 (1978-08-04) 1978年8月4日(89歳没)
出身校 京都帝国大学法科大学修了
所属政党 研究会
称号 勲三等瑞宝章
配偶者 梅園満智子

在任期間 1929年11月14日 - 1947年5月2日
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梅園 篤彦(うめぞの あつひこ、1889年明治22年〉7月17日[1] - 1978年昭和53年〉8月4日[1][注釈 1])は、大正から昭和期の神職政治家実業家華族貴族院子爵議員

経歴

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男爵梶野行篤の七男として生まれ、1913年大正2年)6月、子爵梅園実師の養子となる[1][3][4]。養父の死去に伴い、1917年(大正6年)10月10日、子爵を襲爵した[1][5]

1909年(明治42年)京都府立第二中学校を卒業[3]1912年(明治45年)3月、大阪市立高等商業学校を卒業[3][4]。その後、京都帝国大学法科大学を修了した[2]

1916年(大正5年)官幣中社白峯宮主典に就任[2]。以後、府社男神社社司、京都市主事、京都市嘱託、滋賀県嘱託、京都薬学専門学校講師、京都計理士会会長、三島製紙常務取締役、精版印刷監査役などを務めた[4][2]

1929年(昭和4年)11月14日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[6][7]研究会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]

親族

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  • 養母:美千代(武部兵太郎長女)[1][3]
  • 妻:満智子(吉田与三平四女)[1]
  • 養子:勝彦(好田稔篤二男)[1]

栄典

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』37頁では8月6日[2]

出典

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  1. ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成 上巻』255頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』37頁。
  3. ^ a b c d 『華族畫報 下』1069頁。
  4. ^ a b c 『人事興信録 第14版 上』ウ65頁。
  5. ^ 『官報』第1559号、大正6年10月11日。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、38頁。
  7. ^ 『官報』第866号、昭和4年11月16日。
  8. ^ a b c 勲功百年史 4 改訂 23コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
  • 杉謙二編『華族畫報 下』吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。
日本の爵位
先代
梅園実師
子爵
梅園家第3代
1917年 - 1947年
次代
華族制度廃止