アリヨール (病院船)
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(楠保丸から転送)
1889年にイギリスのホーソン・レスリー社で建造された[1]。総トン数4528トン、長さ131.7m、幅4.6m、深さ.3m、三連成汽機搭載で速力19ノット[1]。オデッサ・ウラジオストク間の定期船として運行された[1]。
日露戦争が起こると「アリヨール」は病院船に改装され、バルチック艦隊と共に極東へ向かった[1]。1905年5月27日、「アリヨール」は五島列島西方沖で日本の仮装巡洋艦「信濃丸」に発見された[2]。「信濃丸」はその後ロシア艦隊と遭遇し、敵発見と通報している[2]。同日、「アリヨール」は日本の仮装巡洋艦「佐渡丸」の臨検を受け、ロシア軍が拿捕したイギリス船「オールドハミヤ」の船長らを乗せていたことから拿捕された[3]。
その後、「楠保丸(くすほまる)」と改名される[1]。
「楠保丸」は呉で病院として使用された[4]。平時になると、維持費がかかることから日本海軍は「楠保丸」と同く元義勇艦隊の船である「笠戸丸」は民間に貸し出すことにし、一か月の使用料として「笠戸丸」4200円強、「楠保丸」500円強を払うと申し出た東洋汽船に対して7月17日に両船の維持が命じられた[5]。
「楠保丸」はハワイへ航海したが、石炭消費量は多く、貨物積載量は少ない採算の取れない船だとしてすぐに返還され、その後解体された[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 宇佐美昇三『笠戸丸から見た日本 したたかに生きた船の物語』海文堂出版、2007年、ISBN 978-4-303-63440-7
- 外山三郎『日露海戦史の研究 下 戦記的考察を中心として』教育出版センター、1985年
- 松井邦夫「絵で見る日本船史70 楠保丸(くすほまる)」海と安全 第二八九号(第十七巻二月)、日本海難防止協会、1983年、22ページ