横濱勉
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(横浜勉から転送)
横濱 勉(よこはま つとむ、1880年10月15日[1] - 1960年12月23日)は、日本の建築家。旧第九十銀行本店(国の重要文化財)などの設計で知られる。盛岡市出身。
経歴
[編集]- 1880年(明治13年)岩手県盛岡市に生まれる
- 1903年(明治36年)第二高等学校 (旧制)を卒業する
- 1906年(明治39年)東京帝国大学工科大学建築学科を卒業する(同期に岡田信一郎、松井貴太郎、本野精吾など)
- 1908年(明治41年)司法省技師となる
- 1918年(大正7年)建築材料調達のため渡米する
- 1922年(大正11年)司法省を休職、住宅改造博覧会の運営に関わる、横濱松下建築事務所を設立
- 1923年(大正12年)司法省を辞職[2]、横濱建築事務所を設立
- 1930年(昭和5年)日本エレベーター製造に入る
- 1933年(昭和8年)大阪橋本組に入る
- 1936年(昭和11年)鹿島組に入り、大阪営業所顧問となる
- 1940年(昭和15年)鹿島組台湾営業所長となる
- 1945年(昭和20年)鹿島組本社に戻る
- 1960年(昭和35年)逝去(享年81)
主な作品
[編集]- 旧第九十国立銀行本店本館(1910年、盛岡市、国の重要文化財)- 外観はロマネスク・リヴァイヴァル様式、内部にゼツェッシオンの意匠を採用している[3]。
- 豊多摩監獄(1915年、後藤慶二と共同、東京都、現存しない)
- 大阪控訴院・地方・区裁判所(1916年、山下啓次郎と共同[4]、大阪市、現存しない)
- 日本海上保険(1922年、大阪市、現存しない)
論述
[編集]その他
[編集]- 住宅改造博覧会(箕面)の大林組出品住宅を気に入り、購入して自宅とした。住宅は2004年に取壊し。
参考文献
[編集]- 日本建築協会80年史(日本建築協会編)
注釈
[編集]- ^ 『大衆人事録 第12版 近畿・中国・四国・九州篇』[1]p206。
- ^ 「休職司法技師横浜勉免官」[2]任免裁可書・大正十二年・任免巻七十二。
- ^ 国指定文化財等データベース[3]
- ^ 「大阪控訴院地方裁判所合併庁舍建築概要」(建築雑誌355号)