欧陽詹
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欧陽 詹(歐陽 詹、おうよう せん、生没年不詳)は、中国・唐の文人・学者。字は行周。本貫は泉州晋江県。
経歴
[編集]その祖先は代々泉州の州佐や県令をつとめた。建中元年(780年)、常袞が福建観察使となると、欧陽詹は羅山甫とともに見出された。貞元8年(792年)、進士に及第し、韓愈・李観・李絳・崔群・王涯・馮宿・庾承宣らとともに「龍虎榜」と称された。福建の人で進士に及第したのは、欧陽詹が最初であった。
国子監四門助教となり、韓愈を推薦して四門博士とするよう運動した。40数歳で死去した。死後に『欧陽行周文集』10巻が編まれた。
詩人としての彼
[編集]作品に、『題延平剣潭(延平の剣潭に題す)』(七言絶句)がある。
題延平剣潭 | |
想像精霊欲見難 | 精霊を想像し 見んと欲すれども難し |
通津一去水漫漫 | 通津(つうしん) 一(ひと)たび去って水漫漫(まんまん)たり |
空余昔日凌霜色 | 空しく余す 昔日 霜を凌(しの)ぐ色 |
長與澄潭生昼寒 | 長(とこし)えに澄潭(ちょうたん)と与(とも)に昼寒(ちゅうかん)を生ず |
伝記資料
[編集]- 『新唐書』巻203 列伝第128 文芸下