澤田剛
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(沢田剛から転送)
函館大学付属有斗高等学校 コーチ | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 北海道上磯郡上磯町(現・北斗市) |
生年月日 | 1975年11月21日(49歳) |
身長 体重 |
181 cm 78 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 1993年 ドラフト5位 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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指導者歴 | |
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この表について
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澤田 剛(さわだ つよし、1975年11月21日 - )は、北海道上磯郡上磯町(現・北斗市[1])出身の元プロ野球選手(内野手[2][3])。右投左打。
経歴
[編集]函館大有斗高では上野美記夫監督の指導を受けて3年夏に投手として南北海道大会ベスト4の成績を収めたが[4]、甲子園出場歴はない[2]。
1993年のドラフト5位で福岡ダイエーホークスに内野手として入団[1][2]。18歳の誕生日に決定の電話を受けたという[5]。
1997年に現役を引退し[2]、球団職員となる[1]。球場の看板広告や地方興行、宮崎キャンプの誘致などの営業を担当し[1][5]、2005年4月に退団。
2005年にトラスト・インターナショナル社を起業し、2022年までに中古車販売事業・飲食店事業・健康関連事業を展開している[1]。
2012年1月に帰郷し、高校の先輩が監督を務める函館北斗ポニーの部長を務めた[6]。
2016年の学生野球資格回復研修を受講した上で翌2017年2月7日に日本学生野球協会から学生野球資格回復の適性認定を受けて学生野球選手への指導が可能となり[7]、2022年4月1日に函館大有斗高からの要請を受けて函館大有斗高のコーチに就任[1][2]。
家庭
[編集]野球一家であり、父は北海高校から甲子園に4回出場し、立教大学でも選手であった。兄も函館大有斗高で甲子園出場経験がある[5]。
妻帯者であり、高知キャンプで出会ったことがきっかけである[5]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]- 一軍公式戦出場なし
背番号
[編集]- 58(1994年 - 1997年)
脚注
[編集]- ^ a b c d e f “起業人/トラスト・インターナショナル 澤田剛さん (要購読契約)”. 函館新聞 (2021年5月31日). 2021年10月3日閲覧。
- ^ a b c d e “函館大有斗 OB指導者を迎えて新たなスタート「昔のように強くなってほしい」”. スポニチアネックス (2021年4月2日). 2021年10月3日閲覧。
- ^ “日本プロ野球OBクラブ 会報誌 No.42”. 社団法人全国野球振興会 (日本プロ野球OBクラブ) (2009年6月). 2021年10月3日閲覧。
- ^ '94スポニチプロ野球手帳
- ^ a b c d “9月2(火) ~本日のお客様~ 「暮らしつづれおり」公式ブログ”. 函館山ロープウェイ株式会社 FMいるか (2021年4月2日). 2021年10月3日閲覧。
- ^ “北斗ベースボールクラブ、函館地区の核に”. ベースボール北海道 ストライク (2012年4月29日). 2021年10月3日閲覧。
- ^ “元ヤクルト宮本慎也氏ら132人が学生野球資格回復 - 大学・社会人”. 日刊スポーツ (2017年2月8日). 2017年2月8日閲覧。