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正福寺 (川崎市宮前区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
法徳院から転送)
正福寺
川崎市宮前区にある正福寺の正面写真。
所在地 〒216-0005 神奈川県川崎市宮前区土橋6-2-8
位置 北緯35度35分18秒 東経139度34分21秒 / 北緯35.58833度 東経139.57250度 / 35.58833; 139.57250座標: 北緯35度35分18秒 東経139度34分21秒 / 北緯35.58833度 東経139.57250度 / 35.58833; 139.57250
山号 医王山[1]
院号 法徳院[1]
宗旨 天台宗[1]
本尊 薬師如来立像[2]
創建年 不明[2]
開山 了廊[2]
中興 衆祐[3]
正式名 医王山法徳院正福寺[4]
札所等 多摩七薬師[5]
法人番号 5020005007356 ウィキデータを編集
正福寺 (川崎市宮前区)の位置(川崎市内)
正福寺 (川崎市宮前区)
正福寺 (川崎市宮前区)の位置(神奈川県内)
正福寺 (川崎市宮前区)
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正福寺(しょうふくじ)は、神奈川県川崎市にある天台宗寺院。詳名は医王山法徳院正福寺(医王山正福寺法徳院)[4]。多摩七薬師の一つである[5]

歴史

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創建は江戸時代中期と伝わるが詳細は不明[2][4]。開山は阿闍梨了廓と伝わり、中興の僧は1752年 (宝暦2年)に亡くなったと伝わる[3]。創建時は第六天社と共に土橋太田と言う小字にあった[6]天保年間(1830年1844年)に、第六天社と共に焼失し、現在地に再建された[6][7]

境内

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  • 馬頭観音 - 1827年文政10年)建立の刻像塔[8]
  • 馬頭観音 - 1841年天保12年)建立の文字塔[8]。道標を兼ね、南大山道、東二子道、北登戸道、西王禅寺道と刻まれている[4]
  • 馬頭観音 - 1855年安政2年)建立の刻像塔[8]
  • 庚申塔 - 1747年延享4年)建立の青面金剛刻像塔[9]
  • 地神塔 - 1872年(明治5年)建立の文字塔[10]
  • 六地蔵 - 1972年(昭和47年)建立の「延命地蔵尊」[11]ほか。
  • 巡拝塔 - 1869年(明治2年)建立[12]
  • 句碑 - 1974年(昭和49年)建立の内野琴月句碑[13]
  • 無縫塔 - 1797年寛政9年)建立。「権律師法印宗珠霊位」[14]
  • 石庭

文化財

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年中行事

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交通アクセス

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出典

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  1. ^ a b c 新編武蔵風土記稿 土橋村.
  2. ^ a b c d e f 川崎市宮前区区民懇話会 第7期文化教育分科会『もっと知ろうよ宮前区ー神社・お寺の歴史をたずねてー』1997年、16頁。 
  3. ^ a b 川崎市『川崎市制80周年記念川崎地名辞典(下)』2004年、37頁。 
  4. ^ a b c d 宮前区役所まちづくり推進部地域振興課『宮前区歴史ガイドまち歩き』2012年、1頁。 
  5. ^ a b 塚田芳雄『江戸・東京札所事典』下町タイムス社、1989年、194頁。 
  6. ^ a b 小倉 勇『宮前の今昔』1992年、32頁。 
  7. ^ a b c d 前川 清治『かわさき地名散歩』多摩川新聞社、1998年、230-231頁。ISBN 4-924882-27-5 
  8. ^ a b c 川崎市教育委員会文化課/編集『川崎市石造物調査報告書 資料編 昭和54年度』川崎市博物館資料調査団、1980年、6-7頁。 
  9. ^ 『川崎の庚申塔-博物館資料調査 昭和60年度-』川崎市博物館資料調査団、1986年、103頁。 
  10. ^ 川崎市教育委員会文化課/編集『川崎市石造物調査報告書 資料編 昭和54年度』川崎市博物館資料調査団、1980年、53頁。 
  11. ^ 川崎市教育委員会文化課/編集『川崎市石造物調査報告書 資料編 昭和54年度』川崎市博物館資料調査団、1980年、17-18頁。 
  12. ^ 川崎市教育委員会文化課/編集『川崎市石造物調査報告書 資料編 昭和54年度』川崎市博物館資料調査団、1980年、63頁。 
  13. ^ 川崎市教育委員会文化課/編集『川崎市石造物調査報告書 資料編 昭和54年度』川崎市博物館資料調査団、1980年、96頁。 
  14. ^ 川崎市教育委員会文化課/編集『川崎市石造物調査報告書 資料編 昭和54年度』川崎市博物館資料調査団、1980年、108頁。 

参考文献

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