淺利敬一郎
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(浅利敬一郎から転送)
淺利 敬一郎 あさり けいいちろう | |
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生年月日 | 1945年6月29日(79歳) |
出生地 | 中華民国 北京市 |
出身校 | 大阪教育大学 |
前職 | 豊中市教育長 |
所属政党 | 無所属 |
公式サイト | あさり敬一郎のホームページです |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 2006年5月15日 - 2018年5月14日 |
淺利 敬一郎(あさり けいいちろう、1945年6月29日[1] - )は、日本の政治家、教育者。大阪府豊中市長(3期)。浅利敬一郎と表記されることもある。
来歴
[編集]中華民国北京市生まれ。1969年(昭和44年)3月、大阪教育大学卒業。同年、寝屋川市立第一中学校の保健体育の教諭となる。
1980年(昭和55年)、大阪府教育委員会事務局に勤務。1998年(平成10年)、義務教育課長に就任。2000年(平成12年)12月、豊中市教育委員会教育長に就任。
2006年(平成18年)4月23日の豊中市長選挙で無所属初当選した(投票率30.73%)。2008年には橋下徹大阪府知事が府内市長会を通じて開催を呼びかけた「教育に関する意見交換会」にて、「国は府県データを公表していて、府県が市町村データを言ったらだめだというのは矛盾している。文部科学省はひきょうだ」と指摘し、学力調査の市町村別結果の公表に賛成した[2]。
2010年4月25日には民主党・自民党・公明党・社民党の推薦を受けて66153票で共産党推薦の候補を破って再選(投票率30.92%)[3][4]。2014年04月20日には無投票3選[5]。
2018年(平成30年)5月14日の任期満了をもって、退任。背景には2017年2月に肋骨を骨折し、治療に半年ほどかかったこと、同9月から腰に激痛が走るようになり、注射を打って症状を抑えてきた健康問題にある[6][7]。
脚注
[編集]- ^ 淺利敬一郎豊中市長インタビュー - 大阪弁護士会 総合法律相談センター
- ^ “asahi.com(朝日新聞社):「橋下知事は教育介入を」 府内市長から共感、賛同 - 橋下知事の日々”. www.asahi.com. 2021年12月24日閲覧。
- ^ <豊中市長選>浅利氏が再選 大阪(毎日新聞)2010/05/01
- ^ “豊中市長選挙 - 2010年04月25日投票 | 大阪府豊中市”. 選挙ドットコム. 2021年12月24日閲覧。
- ^ “豊中市長選挙 - 2014年04月20日投票 | 大阪府豊中市”. 選挙ドットコム. 2021年12月24日閲覧。
- ^ “大阪・豊中市の浅利市長が4選不出馬 平成18年に初当選”. 産経新聞. (2018年2月6日) 2018年4月16日閲覧。
- ^ INC, SANKEI DIGITAL (2018年2月6日). “大阪・豊中市の浅利市長が4選不出馬 平成18年に初当選”. 産経ニュース. 2021年12月24日閲覧。
外部リンク
[編集]- あさり敬一郎のホームページです - ウェイバックマシン(2019年1月1日アーカイブ分)
公職 | ||
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先代 19-20代:一色貞輝 |
21-23代 豊中市長 2006年 - 2018年 |
次代 24代:長内繁樹 |