浜田精蔵
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(浜田清蔵から転送)
浜田 精蔵(濱田 精藏、はまだ せいぞう、1880年(明治13年)12月9日[1] - 1926年(大正15年)9月8日[2][3][4])は、明治末から大正期のジャーナリスト、実業家、政治家。衆議院議員、福岡市会議長。清蔵の表記有り[5]。
経歴
[編集]鹿児島県[2][4] 姶良郡、のちの加治木村(加治木町[3][5]を経て現姶良市)で、浜田清四郎の二男として生まれた[6]。1905年(明治38年)慶應義塾大学政治科を卒業した[2][3][4][5][6]。
時事新報記者となりロンドン特派員、経済部長などを務めた[2][3][4][5]。千代田生命保険に転じ、福岡支部長などを務めた[2][3][6]。その後、博多商業会議所副会頭、諏訪炭礦専務取締役、西部合同瓦斯会社(現西部ガスホールディングス)社長、日本水電取締役などを務めた[2][3][4][5]。
政界では、福岡市会議員に選出され、同議長にも在任した[2][3][4][5]。新人を推したいとの地元の要請を受けて帰郷し[5]、1924年(大正13年)5月、第15回衆議院議員総選挙(鹿児島県第7区、政友本党公認)で当選[2][3][5][7]。その後、立憲政友会に所属して活動したが[2]、盲腸炎で東京市芝今里町の自宅で療養中、胆石病を併発して1926年9月に死去した[6][8]。
著作
[編集]- 『支那大観』巌松堂書店、1922年。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第15回』衆議院事務局、1926年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 南日本新聞社編『郷土人系 上』春苑堂書店、1969年。
- 『大正過去帳 物故人名辞典』東京美術、1973年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。