渡辺和己
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(渡邊和己から転送)
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選手情報 | ||||
フルネーム | わたなべ かずみ | |||
ラテン文字 | Kazumi Watanabe | |||
国籍 | 日本 | |||
種目 | 長距離走・マラソン | |||
所属 | 九州電気工事 | |||
大学 | 中央大学 | |||
生年月日 | 1935年12月25日 | |||
出身地 | 福岡県福岡市 | |||
没年月日 | 2022年4月21日(86歳没) | |||
死没地 | 福岡県福岡市 | |||
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渡辺 和己(わたなべ かずみ、1935年12月25日 - 2022年4月21日、正字体:渡邊和己)は、日本の元陸上競技選手。現役時代の専門は長距離走。1960年ローマオリンピックおよび1964年東京オリンピックに日本代表選手として出場した。
来歴
[編集]中央大学時代は、東京箱根間往復大学駅伝競走に2年生の1956年から4年生の1958年まで出場し、1956年は総合優勝メンバーとなっている(走った区間は2年生から順に1区・8区・10区)[1]。
大学卒業後は九州電気工事(現・九電工)に所属し、1959年の第9回別府大分毎日マラソンでは大会新記録で優勝した[2]。
ローマオリンピックのマラソン代表選手となり出場したが、32位に終わる[3]。
寺沢徹が世界最高記録を樹立した1963年の第12回別府大分毎日マラソンでは、寺沢に次ぐ2位でそれまでの日本最高記録を上回った[4]。
東京オリンピックに際しては、最終選考会となった4月12日の日本選手権マラソン[5]に出場するも、代表選考対象の3位以内には入れなかった[6]。その後、10000mの代表に選ばれて、出場した[2]。
現役引退後は九電工の監督を務めた[7]。
脚注
[編集]- ^ 過去の記録 箱根駅伝 1956年~1960年 - 中央大学駅伝応援サイト
- ^ a b 陸上競技部のあゆみ - 九電工
- ^ “Kazumi Watanabe Olympic Results”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年5月4日閲覧。
- ^ 別大マラソンの歴史 - 別府大分毎日マラソン
- ^ びわ湖毎日マラソンの1回でもあるが、前年と当年はオリンピックのマラソンコースを使用した。
- ^ “1964年の“MGC”はだしの激走も五輪代表選考会の真実”. 西日本スポーツ. (2019年9月14日) 2020年2月20日閲覧。
- ^ a b “渡辺和己氏死去 九州陸協元理事長、五輪2度出場”. 西日本新聞me (西日本新聞社). (20221-04-22) 2022年4月22日閲覧。