瀬木博政
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瀬木 博政(せき ひろまさ、1904年3月30日 - 2002年9月18日)は日本の実業家、博報堂代表取締役名誉会長。東京都出身。
人物
[編集]旧制東京府立第一中学校を経て、1925年に旧制東京商科大学専門部(のちの一橋大学)を卒業と同時に日仏銀行 (Banque Franco-Japonaise) に入社。1927年にNYシティバンクを経て、1931年に博報堂取締役となり兄を支える。1933年に常務取締役、1945年に代表取締役副社長を歴任、1966年には代表取締役会長に就任。1976年に代表取締役相談役となる。同年、福井純一前社長らの"博報堂乗っ取り"を刑事告訴し、福井ら3人は東京地検特捜部により特別背任罪、業務上横領罪で逮捕、起訴された[1][2]。
1978年に再び代表取締役会長となり1983年に代表取締役名誉会長となる[3]。2002年9月18日、文京区本駒込の自宅で死去、享年98。宮川智雄博報堂社長が主催・代表を務めるお別れの会が高輪プリンスホテルで開かれた。
家族
[編集]脚注
[編集]- ^ 1976/02/17, 日本経済新聞
- ^ 博報堂の瀬木一族3代目の瀬木庸介から社長職を引き継いだ福井純一と、瀬木一族の瀬木博政会長との社内派閥抗争に端を発する事件。対抗した福井らが取締役としての自らの地位を保持するために株主総会決議に必要な株式を買い集めたことが会社に被害を与えたとして、1975年10月3日から東京地検特捜部による同社への家宅捜索など本格的捜査がはじまり、ロッキード事件が始まるおよそ20日ほど前の1976年1月27日、福井と側近ら3人が同特捜部に特別背任容疑で逮捕された。その間、福井から請われて大蔵省の近藤道生元国税庁長官が1975年7月から同社社長となり、福井は副社長になっていた。
- ^ 2002/10/11, 日本経済新聞