北見中劇
北見中劇 Kitami Chūgeki | |
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情報 | |
通称 | 北見中劇・ミリオン座 |
正式名称 | 北見中央劇場 |
完成 | 1956年 |
開館 | 1956年8月10日 |
閉館 | 2001年2月25日 |
最終公演 |
『顔』(阪本順治監督) 『リトル・ダンサー』(スティーブン・ダルドリー監督)[1] |
収容人員 | (2スクリーン)640人 |
客席数 |
中劇:360席 ミリオン座:280席 |
設備 |
DOLBY STEREO 35mm映写機 |
用途 | 映画上映 |
運営 | ヘラルド・エンタープライズ株式会社 |
所在地 |
〒090-0044 北海道北見市北4条西2丁目 |
最寄駅 | JR石北本線北見駅 |
最寄バス停 | 北海道北見バス「4条西2丁目」停留所 |
北見中劇(きたみちゅうげき・1956年8月10日開業[2] - 2001年2月25日閉館)は、北海道北見市にかつて存在した日本の映画館である。
データ
[編集]- 所在地:北海道北見市北4条西2丁目
- 運営
- 観客定員数:550席(開館時[2])→360席(中劇)・280席(ミリオン座)
歴史・概要
[編集]1956年(昭和31年)8月10日、当時釧路市内で「釧路劇場」などを手掛けていた浅川興行により、「北見中央劇場」(きたみちゅうおうげきじょう)として設立・開業される。木造モルタル2階建てで、当時は大映と日活の作品を主に上映していた[2]。
当館が開館するまでの北見市内には、1936年(昭和11年)設立の「稲荷座」を前身とした北見東宝劇場と、1940年(昭和15年)設立の「北見友楽座」、1951年(昭和26年)開業の「北見名画座」(後に北見オリオン劇場に改称)の計3館しかなかったが[注 1][注 2]、中劇開業後は再び増加に転じ、全国の映画館数がピークに達した1960年(昭和35年)時点で8館に増えた[注 3]。
1970年代に入ると北見東宝が映画館事業から撤退し、ボウリング場「ボウル北見」や飲食店などを有する地下1階・地上5階建ての商業ビルに建て替えられ[6]、同市の映画館は中劇と友楽座、北見東映、北見みゆき座の4館に半減した[注 4]。その後1977年(昭和52年)、中劇は日本ヘラルド映画の関連会社「北日本ヘラルド興業」に運営委託。これに伴う改装工事により1階を「北見中劇」、2階席のあった部分を「ミリオン座」として新たなスタートを切った。ヘラルドは同時期に北見みゆき座の運営も任され、館名を「テアトル北見」に改称。経営者と支配人は中劇と兼任していた[注 1]。
平成に入ると友楽座から改称した「シアター友楽」と先述の「テアトル北見」、タカハシグループに委託されていた日活系の「北見にっかつ劇場」(1979年開業)が相次いで姿を消し[注 1]、同市の映画館は中劇・ミリオン座ときたみ東急ホール109[注 5]の3スクリーンに減った。しかし2000年(平成12年)9月23日、北見サティ(現「イオン北見店」)内に7スクリーンのシネマコンプレックスであるワーナー・マイカル・シネマズ北見(現在のイオンシネマ北見)がオープン[8]すると、中劇の観客数は激減[3]。最終的に2001年(平成13年)2月25日をもって閉館し44年半の歴史に幕を閉じた[3]。建物は解体され駐車場となり、2024年時点の現況も同様である。
なお、中劇閉館後の2002年(平成14年)には、北日本ヘラルド興業を吸収合併させたヘラルド・エンタープライズが苫小牧日劇の経営から撤退し[注 6]、同年12月4日にオープンした旭川市のシネコン「シネプレックス旭川」に集約させた。その後2013年6月にシネプレックスがユナイテッド・シネマに吸収合併されたが、それに伴う屋号変更は行われず、引き続き「シネプレックス旭川」の名称が使用されている(2024年3月現在)[9]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ a b c 北見市の映画館「消えた映画館の記憶」を参照した。
- ^ 1955年の映画館(北海道地方)「消えた映画館の記憶」を参照した[4]。
- ^ 1960年の映画館(北海道地方)「消えた映画館の記憶」を参照した[5]。
- ^ 1973年の映画館(北海道地方)「消えた映画館の記憶」を参照した[7]。
- ^ 中劇閉館後にミニシアター「シアターボイス」に改称するも、2013年3月31日をもって閉館。
- ^ 苫小牧日劇はヘラルド撤退後も営業を続けていたが、2005年4月22日をもって閉館。
出典
[編集]- ^ 奥脇孝一. “北見中劇・ミリオン座(外観写真)”. 株式会社モノリス. 2023年10月7日閲覧。
- ^ a b c d 「興行街」『キネマ旬報』1956年10月15日、158号
- ^ a b c 「シネコン全盛で、しにせ映画館受難 道内各地で閉館相次ぐ」『朝日新聞』2001年2月11日
- ^ 『全国映画館総覧 1955年版』時事通信社、1955年。
- ^ 『映画年鑑 1960年版 別冊 映画便覧 1960』時事通信社、1960年。
- ^ “北見東宝ビル”. 北海道商店街情報サイト KuLeBa. 2023年10月7日閲覧。
- ^ 日本映画製作者連盟配給部会『映画年鑑 1973年版別冊 映画館名簿』時事映画通信社、1972年。
- ^ “会社の沿革”. イオンエンターテイメント株式会社. 2023年10月7日閲覧。
- ^ “シネプレックス旭川”. ローソン・ユナイテッドシネマ株式会社. 2024年3月21日閲覧。