京菓子
京菓子(きょうがし)は、近世に京都で成立した京都風の菓子[1]。江戸で成立した江戸風の菓子「上菓子」に対する語である[1]。ただし、京菓子のことを京都では上菓子とよぶ。なお、京都で作られる菓子のすべてが京菓子(上菓子)というわけではない[2]。上菓子は献上菓子の意で、禁裡御用の菓子であり、上菓子(京菓子)は駄菓子とは明確に分かれている[3]。京菓子は「有職故実にもとづく儀式典礼に用いる菓子、または茶道に用いる菓子」と定義されることもある[4]。
概要
[編集]日本では遣唐使により唐果物(からくだもの)と呼ばれる菓子が唐からもたらされ、12世紀には羹や饅頭など点心がもたらされた[4][2]。さらに安土桃山時代には、カステラや金平糖などの南蛮菓子が伝来した[4][2]。この頃、文化の中心地であった京都では茶道が盛んになり、そこで供される点心が京都を代表する菓子となった[1]。有名な菓子に千利休の茶会に出された麩の焼きがある[2]。既にあった饅頭に加えて、1589年には京都で練り羊羹が発明された[1]。さらに京都では数種類の餅菓子、半生菓子、干菓子の打物が次々と作られるようになった[1]。茶道の普及に伴い、京都独自の発展をした[5]。
「京菓子」の名は、江戸中期の幕府による砂糖の輸入制限で砂糖の配分を受けることができる上菓子屋の株仲間が248軒に制限され、許された店のみが「京菓子司」と名乗ることが認められたことで形成された[2](京都でいう「上菓子」とは献上菓子をいう[1])。
茶席での京菓子
[編集]茶席菓子には濃茶に出される主菓子と薄茶に出される干菓子があり、主菓子は抽象的、干菓子は具象的なデザインが特徴になっている[4]。
京菓子は
- 目で色や形を楽しむ
- 舌で感触と味を楽しむ
- 鼻でその香りを楽しむ
- 耳で菓子の銘(名前)を聞く
という五感(視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚)で味わうものとされる。
代表的な京菓子
[編集]- 八ツ橋
- ちまき
- 味噌松風
- きんとん
- 薯蕷饅頭(じょうよまんじゅう):生地に薯蕷(ナガイモ)を用いた蒸し菓子で、上用饅頭とも言う。京都の小売店で売られている薯蕷饅頭は粒餡や白餡もあるが一般的にはこし餡が多い。また、祝い事で使われる紅白饅頭では饅頭の下に敷かれるシートが銀紙ではなくあえて紙のように薄い木の板(片木:へぎ)を使う場合もある。
- 葛菓子(くずがし)
- 求肥(ぎゅうひ)
- 懐中汁粉(かいちゅうしるこ)/懐中善哉(かいちゅうぜんざい):最中の皮で餡などを包んだもので、湯で溶かして食べる。
- 州浜(すはま):大豆の粉(州浜粉)と水飴を原料とした練り菓子。
- 打物(うちもの):干菓子。落雁など。
- こなし:漉し餡と薯蕷粉を蒸し、砂糖や蜜を加えてたもの。
- 棹物(さおもの):羊羹など切り分けて供されるもの。
出典
[編集]- ^ a b c d e f 松隈美紀「食文化の研究:菓子の歴史とあゆみについて」『中村学園大学・中村学園大学短期大学部研究紀要』第42号、中村学園大学、2010年3月、203-211頁、ISSN 1347-7331、NAID 120005724136。
- ^ a b c d e “博物館ななめ歩き42 京菓子資料館” (PDF). 文化庁月報 2013.1. 2021年2月16日閲覧。
- ^ 林淳一「京菓子」『調理科学』第16巻第1号、日本調理科学会、1983年、2-9頁、doi:10.11402/cookeryscience1968.16.1_2、ISSN 0910-5360、NAID 110001170575、2021年8月1日閲覧。
- ^ a b c d 太田達「講演記録 第17回京都工芸サロン 京菓子について」『京都産業学研究 : 京都産業学センター年報』第10号、龍谷大学大学院経営学研究科付置機関京都産業学センター、2012年3月、115-140頁、ISSN 1883-3160、NAID 110009323596。
- ^ 宮内昭, 西浦孝輝「菓子(その1)」『調理科学』第17巻第1号、日本調理科学会、1984年、25-30頁、doi:10.11402/cookeryscience1968.17.1_25、ISSN 0910-5360、NAID 130004399997。