加藤十四郎
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加藤 十四郎(かとう じゅうしろう、元治元年7月7日[1](1864年8月8日) - 昭和14年(1939年)7月20日[2])は、日本の衆議院議員(憲政会→立憲民政党)。ジャーナリスト。
経歴
[編集]肥前国三根郡三川村(現在の佐賀県三養基郡みやき町)の山崎家に生まれ、加藤喜兵衛の養子となった[3][4]。1888年(明治20年)、慶應義塾を卒業[5]。『時事新報』記者、山陽鉄道株式会社社員を経て、アメリカ合衆国に留学[3]。シカゴ法律専門学校で法学士号を得た[3]。サンフランシスコの『新世界新聞』主筆、シアトルの『旭新聞』主筆、シアトル日本人会会長、北米日本人会参事員などを務めた[2]。帰国後、『九州毎日新聞』主筆、三好鉱業株式会社顧問、三好商事株式会社専務取締役、同相談役を歴任した[2]。また三養基郡会議員、同参事会員、佐賀県会議員に選ばれた[3]。
1924年(明治13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 広幡明男『大正十三年五月当選 代議士詳覧』泰山堂、1924年。
- 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1940年。