コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

藤原仁善子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤原 仁善子

身位 東宮保明親王妃・東宮慶頼王
敬称 本院御息所
死去 天慶8年12月20日946年1月25日
配偶者 保明親王
子女 慶頼王煕子女王
家名 藤原北家
父親 藤原時平
母親 廉子女王
栄典 正五位下
テンプレートを表示

藤原 仁善子(ふじわら の にぜこ/にさこ/よしこ、生年不明 - 天慶8年12月20日946年1月25日))は、平安時代中期の女官左大臣藤原時平の長女で、保明親王の妃。正五位下[1]

延喜16年(916年)に東宮・保明親王の妃となる。慶頼王煕子女王の生母となるが、延喜23年(923年)に親王は即位することなく薨御延長3年(925年)には慶頼王も薨御した。

天慶8年12月20日946年1月25日)暁、卒去[2]。本院御息所と呼ばれた。

なお、藤原定方の娘にも藤原 仁善子/善子(ふじわら の よしこ、生年不明 - 康保元年(964年)4月)がおり、正三位醍醐天皇の女御で、後に藤原実頼の室になってるが[3]藤原能子と同一人物かもしれない[4]

脚注

[編集]
  1. ^ 本朝世紀天慶8年12月19日条。
  2. ^ 九暦』、『貞信公記』。『本朝世紀』では19日夜
  3. ^ 『日本紀略』康保元年4月某日。『尊卑分脈』、『一代要記
  4. ^ 浜口俊雄『清慎公藤原実頼室能子と『大和物語』』,「二 摂政太政大臣藤原実頼室藤原能子と藤原仁善子」, 1997

参考文献

[編集]