藤原仁善子
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藤原 仁善子 | |
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身位 | 東宮保明親王妃・東宮慶頼王母 |
敬称 | 本院御息所 |
死去 |
天慶8年12月20日(946年1月25日) |
配偶者 | 保明親王 |
子女 | 慶頼王・煕子女王 |
家名 | 藤原北家 |
父親 | 藤原時平 |
母親 | 廉子女王 |
栄典 | 正五位下 |
藤原 仁善子(ふじわら の にぜこ/にさこ/よしこ、生年不明 - 天慶8年12月20日(946年1月25日))は、平安時代中期の女官。左大臣・藤原時平の長女で、保明親王の妃。正五位下[1]。
延喜16年(916年)に東宮・保明親王の妃となる。慶頼王・煕子女王の生母となるが、延喜23年(923年)に親王は即位することなく薨御。延長3年(925年)には慶頼王も薨御した。
天慶8年12月20日(946年1月25日)暁、卒去[2]。本院御息所と呼ばれた。
なお、藤原定方の娘にも藤原 仁善子/善子(ふじわら の よしこ、生年不明 - 康保元年(964年)4月)がおり、正三位、醍醐天皇の女御で、後に藤原実頼の室になってるが[3]、藤原能子と同一人物かもしれない[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年
- 摂関期古記録データベース